敬天愛人

「敬天愛人」とは読んで字の如く天を敬い、人を愛す。シンプルでありながら、実に深く示唆にとんだ言葉だと思います。少し文典を紐解いて、私も復習してみましょう。

ここでいう「天」とは「天の徳」、すなわち一片の私利私欲なき「仁愛」であり、「天」とは「仁愛」そのものの象徴。従って、「天」を敬うという事は「仁愛」を行うという事、人を愛するという事です。
つまり、「愛人」とは「敬天」の必然的行為なわけです。天を敬い故に人を愛す、天に向かって敬となし、人に対しては愛となす。同じ意味なんです。

そう、「敬天愛人」とは私が敬愛する人物の一人、南洲西郷吉之助隆盛の精神的支柱であり、行動規範である言葉であります。

西郷吉之助は安政五年(1858年)十一月十五日の夜、安政の大獄で幕府より捕縛手配を受けた僧「月照」と共に錦江湾に身投げします。
彼の師でもあり、先君の故島津斉彬公とも懇意にしていた月照から多くを学んだ吉之助は指名手配犯であっても薩摩藩でなら彼を保護できると思い、逃走を手助けします。
ところが無情にも藩は入国を拒否するだけでなく、吉之助に月照を捕殺するように命令します。自らの寄る辺であった国元の冷たさに絶望した彼は月照を日向(宮崎県)に船で送る途中、一緒に海へ飛び降りたのです。しかし、若い吉之助は蘇生し、月照は死んでしまいます。

当時の武士の心情として、自分から一緒に死んで下さい、とお願いした相手だけが死んでしまった事がどれだけ恥ずかしくて、つらかった事か計り知れません。
家族は心配で家では彼の側から、一切の刃物を遠ざけたそうです。
藩も幕府の手前、吉之助を保護する意味もあって奄美大島に配流します。

島での暮らしは考える時間がたくさんあったでしょう。「どうして、自分は死ねなかったのか?」
時間が過ぎてゆき、少しづつ気持ちも落ちついてくると、この上自殺など図るのは死の上塗りであると思い直したでしょう。それでも、月照に対してすまなくて心が落ちつく事ができない。
苦悩の時間の中で、やがて、
「天が自分を殺さなかったんだ。」こう考える事でようやく落着きを取戻す事ができました。
これこそ、生涯の信仰的哲学になった「敬天」の始まりであったようです。
彼はその実践方法として、天の徳に対して無私無欲の仁愛の人となると考えます。
物欲、名誉欲、生命欲からも解放され切る事が人間の至上の修行と信じて努力し続けました。

『自分は一度死んだ人間だ。土中の死骨に等しい。これからの命は自分のものではない。世のため、国のために捧げよと天が自分に預けたものなんだ。』

幕末史に多大な功績を残した彼の根底にはこの敬天愛人の哲学、無欲に徹し切る事があったればこそと思えます。

『人間一生の修行は欲を離れきることにある。それによって人間は慈愛に達する。すなわち、天地の慈愛と合致できるのだ。』

私は上野にある銅像を見上げる度に思います、本当に日本にこんな人がいたんだと。
「敬天愛人」という言葉とその思想は、西郷さんの器量の大きさと比較できない程小さな自分を見つめ直させてくれる、いつまでも胸にしまって置きたい大切な言葉の一つなんです。


* こblogは2005年5月に投稿した記事を編集し直しました。

* 上の写真はイタリア人画家キョソネが描いた肖像画です。現在、西郷さんと確認できる写真は1枚もありません。この画も親族の方々の風貌や話等から想像して描かれたものなんです。

PC060057.JPG

* 西郷さんの銅像といえば上野山が有名ですが、地元鹿児島にも建立されています。戦時中、金属回収の呼びかけに対して県は島津斉彬、久光、忠義の三公の銅像は供出しましたが、この銅像には手を触れませんでした。お殿様よりも家来である彼が信望されていたという証拠ですね。

*鹿児島市にある西郷さんの銅像の写真を差し替えました。(2011.12.9)

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