原田甲斐宗輔

私が以前暮らしていた宮城県仙台市は実に素晴らしい街でした。
過ごしやすい気候、周囲の山々の緑、海から吹く潮風、東北独自の人の温かさ、そして食べ物もとてもおいしかったです。

中でもそこに積み上げられた歴史は、私を大変楽しませてくれました。
青葉城をはじめとする数々の史跡を見聞し、そこから学ぶことが沢山ありました。
(まぁ、全てというには限界がありますけど)

それらの一つ一つを点として結びつけ線とし、線を結んで面とする。
歴史というものを書物の中だけで消化するのではなく、現在までに残された形あるものからそれらを立体的に組み立ててゆき、自分の中で完成した形に近づけていくこともまた楽しみの一つだと思っています。
謎解きとまではいきませんが、知識の空白を丁度パズルのピースを一つづつ埋めて行く様な作業に似ているのではないでしょうか。

さて、その仙台の歴史の中で特に私を惹きつけた人物が伊達騒動で悪名を一身に受けた原田甲斐です。
私ははじめ、小説「樅ノ木は残った」でこの人物のことを知りました。
歴史小説ではありますが、読後深く心を潤わせてくれる素晴らしい作品だったと思います。

伊達騒動に関する資料や文献を目にしながら、私の中でフィクションとしてのイメージが出来上がっていた原田甲斐の虚像を、少しでも真実に近づけることが出来たらいいなぁと考えていました。
ここで史実である伊達騒動とはどんな事件だったのか、簡単に書いてみます。

万治三年(1660)に伊達家三代目藩主綱宗は突然幕府より逼塞を命じられ、わずか二歳の亀千代丸が家督を相続することに。以後十一年間、亀千代丸(後の綱村)の後見役である伊達兵部(一ノ関)が藩政の実権を握ります。そのあまりの横暴さに一族重臣である伊達安芸(湧谷)が幕府に直訴。寛文十一年(1671)大老酒井雅楽頭邸における裁決の際、兵部の腹心原田甲斐が安芸を惨殺、一人を除く関係者全員が死亡するという事件が起きました。この刃傷事件によってかえって兵部の罪状は定まり、伊達藩62万石は安泰するという結果に。簡単ではありますが、これが史実に沿った概要であります。

その為、地元仙台でも原田甲斐は非道の臣として歴史的に定着している感があります。
しかし、考えようによってはこの事件は少し腑に落ちない点がある事にも気付きます。

当時幕府は外様大名を取潰して、将軍家の保全を最大限確保することに躍起でした。
加賀百万石に次ぐ大藩の伊達藩を潰す好機だったにも関わらず、逆に安泰させたのはどうしてでしょう?
これは私が考えた意見などではなく、すでに大正年間から原田甲斐忠臣説として言われ続けてきたことです。

一ノ関と雅楽頭は婚籍関係にもあったことから、伊達藩取り潰し後半分の領地で兵部を新たに大名として取立てるという陰謀説があり、これを知った甲斐が雅楽頭を黒幕として訴えない代わりに、自らの口を封じ身命を賭して藩を救ったというのです。残念ながら、甲斐忠臣説はあくまで推測の域を出ません。それらを立証できるものは何一つ無いからです。事件後、原田家は断絶。男子は養子に出された者から幼子まで全員死罪という過酷なものでした。当然、史跡に関してもほとんどが廃棄されてしまいました。

小説「樅ノ木は残った」は大河ドラマ(1970年制作の為、私は見ていません)にもなり、これが人気を呼びいつしか人々は史実を越えて、フィクションの忠臣原田甲斐を定着させてしまった様に思えます。(丁度、水戸黄門が全国を旅していたと思われてるのと同じように)

また、ドラマの舞台というのは昔も今も観光スポットになるのが常です。
甲斐が治めていた船岡は「一目千本桜」が有名です。(東北線沿線に千本の桜が植えてあるのですが、シーズンには観賞の為に電車が徐行してくれるのです)

全国から観光客が押寄せて来るのに、船岡城に原田甲斐の「は」の字も見当たらないのでは話になりません。歴史認識としては悪逆非道の人ではありますが、この船岡ではドラマの主人公(=忠臣)として扱われているのも無理はありません。

まさに小説は事実より奇なりです。

城の一角には雅楽頭邸で甲斐を斬り、合い果てた柴田外記(柴田家が原田家断絶後に船岡を治めた)と甲斐の供養碑が並んで立っています。地下の二人はこれを見てどんな顔をしているでしょうか。
更にここぞとばかり、小説に応じて一本の樅の木まで植えられているのです。

原田甲斐が一族を犠牲にしてまで救いたかった国とは一体どんなものだったのでしょうか。多くの藩が幕府により取潰され、藩士やその家族郎党にいたるまでが路傍に迷う姿を、甲斐だけでなく国を持つ侍は全て見てきたはずです。
たぶん、今の時代の人には考えつかないぐらい当時の彼らにはそれを守ることが重く圧し掛かっていたに違いありません。

結局、私にとって原田甲斐という人物は白黒がはっきりしないのです。
史実としての悪人か、小説のように忠臣であったのか。
真実を求める事はとても大切ですが、それが出来ないのならあるがままを受け入れることも大切なはず。

今では船岡での原田甲斐の扱われ方もそれは一つの歴史なのだと考えるようにしています。例えそれがフィクションであっても、訪れた人が関心を持ってこの人物・事件のことを知るようになってくれる方が意味があると思います。

どちらにしても伊達騒動の結果、仙台という街が現在に至るまで伊達政宗が築いた礎のまま存続したわけです。
私のような素人にとっては、その事の方が余程嬉しくあり、重要であるのは言うまでもありません。

コメント

  1. きのこ より:

    仙台にそいう歴史があるんですねー。
    面白い話で読み入ってしまいました。
    めろんさんのblogで歴史を勉強することにしますw

  2. Yubarimelon より:

    きのこさん、読んでいただいてありがとうございます。
    興味を持っていただけたようなので、それだけで嬉しいです。
    これからもよろしくお願いします。

  3. ひろき より:

    はじめまして。
    最近たまたま「樅の木は残った」を読み、伊達家お家騒動と原田甲斐という人物のことをしりました。
    そしてこの原田甲斐のことをいろいろネット上で調べているうちに、こちらにたどりつきました。
    小説もすばらしかったですが、Yubarimelonさんの、文章に感動しました。
    史実と小説。後世に生きる私たちがどのように向き合うべきかを教えてもらったように気がします。

  4. Yubarimelon より:

    ひろきさん、コメントありがとうございます。
    今日upした記事に原田宗輔のことを書いていたので、このタイミングでのコメントに少し驚きました。
    私も今年になって「樅の木は残った」を再読しましたが、何度読んでも心を潤してくれる良い作品だと思いました。人生のうちで繰り返して読める書に出会えることは中々ないことではないでしょうか。そういう意味でも大切な一冊だと思っています。

  5. 山田実 より:

     私にとっては,フィクションである山本周五郎の「樅の木は残った」の中の「千本杉」のシーンが,大きなショックでした。それは主人公の原田甲斐の言葉でした。「太平の世にそんなことがあるのですか」との問に対して,作家は「権力とは貪婪なものだ」と原田甲斐に語らせていることです。
     これを現代に移して見ると,合衆国のイラク侵攻がまさにそのものと思われるからです。
     何気ないひとつの短文で,政治権力のおぞましさを示した山本周五郎という作家に,そこいらにいる政治評論家たちは光を失います。

  6. Yubarimelon より:

    山田さん、コメントありがとうございます。
    私にとっても本書は何度も読み返した本であります。フィクションであるにもかかわらず、甲斐をはじめ登場人物たちのリアルさを毎回楽しんでいます。今後も、繰り返し読み続ける一冊であることは間違いありません。

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