歴史はミステリーによって真実に近づく!

最近歴史の謎を題材にしたバラエティ番組が多いと思いませんか?

ちょっと調べただけでも週に3本ぐらい放送してますね。似たような番組が製作されるというのはそれだけ人気があるという事でしょう。

多くの日本人が歴史に対して教科書どおりを受け入れるのでなく、この歴史は本当の事なんだろうか?というように少し疑問符を付けて接し始めていると解釈してもいいのかと思います。

中にはかなり大胆な仮説を投げかける番組もありますが、それはそれで本当?と自分なりの考えを巡らせるような素地が出来上がってきたとも言えるでしょう。

この傾向はとても良い事ではないかと私は思います。

元より私達が歴史とよび、頭の中の年表の中に並んでいる項目それらが全て真実であるとは限らないからです。

古代より歴史というものは戦争の歴史でした。そこには勝者と敗者がいます。それまで栄華を誇ってきた支配者側が一夜にして歴史の闇に埋もれるなんていうのは良く聞く話です。つまり教科書で読み、学校で習ってきた多くの事は戦勝者側の都合の良い記録だけで固められたものと考えるべきでしょう。勝者にとって都合の悪い敗者側の記録は破棄され改ざんされるのが歴史の常なわけです。勿論それらが全てでっち上げだとは言いません。歴史とは光と闇の両方の部分を知る事によってはじめて真実に到達出来たと言えると思うのです。

ですから、歴史に疑問符が付くのは当たり前なんです。事実を明らかにするのは容易な事ではありません。記録自体がないわけですから、後はわずかに残された史跡や旧家等に眠っているかもしれない今だに発見されてない未知の資料から可能性を探るしかないのです。

前回書いた伊達騒動はいわば、藩政を牛耳る伊達兵部とそれに反発する伊達安芸という一族の抗争の歴史でした。安芸側が勝者となった故に兵部側だった原田甲斐の記録は伊達安芸側で書かれた悪人としての記録だけが残ったわけです。しかし、真相を知るためにはどうしても敗者側の記録も確認する必要がありますが、それが不可能に近い為に現代に生きる私達には歴史=解明されてないものとして位置づける必要もあるのではないでしょうか。

考えて見れば、歴史の謎も何もなく100%真実が明らかであれば、知識の糧となるだけで面白味も何もないとは思いませんか?例えば、邪馬台国が九州にあったのか、畿内にあったのか。さんざん議論されていますが、議論されている今が一番楽しめると思うのは私だけではないはず。双方の主張を照らし合せるとそれぞれに納得できて笑えるぐらい楽しいものです。これが、仮にどちらかに確定してしまったらどうでしょう。歴史の引出しの奥に仕舞いっ放しになりはしませんか?(まぁ、最終的には白黒はつけては欲しいのですけどw。)

歴史の語られない部分を明らかにし、真実を知る事はとても大切です。私のように謎がある間の方が面白いなんて考えてるのは、日夜研究して苦労をされてる方々にはとても申し訳ない事と思います。

ですが、謎という?の部分から歴史を見たら逆に真実に辿りつけるきっかけになるかもしれません。教科書で習った事柄を鵜呑みにしてそのまま引出しに閉まっておいても先には進めません。謎として探求していけば、いつかとんでもない新証拠が発見されるかもしれません。

つい先日も現存している「源氏物語」の藤原定家の写本よりも古い大沢本が見つかり話題になりました。それらも奈良の旧家から戦後行方不明になっていたという事です。この写本の発見によって今は失われた紫式部の原本に近づけるかもしれないという事です。

このように私達が今だ考えもつかない歴史の闇の部分に突然光が当たる可能性は残ってるのです。そんな新証拠が見つかれば、今までの概念を180度回転させる事件になるはずです。

そんな日が来る事を楽しみにしつつ、今は歴史ミステリーの番組で謎をたくさん増やしておこうと思います。

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