直江山城守兼続 「愛」の一文字にこめた想い

今私の手元に「歴史読本」の1998年8月号があります。

その巻頭に山形県米沢市と新潟県六日町の有志の方達で「直江兼続」の生涯をNHKの大河ドラマにする会を結成したという記事が掲載されていました。

2009年大河ドラマの主人公がこの直江兼続でスタートする事が決まっています。つまり結成から11年してようやく悲願を達成できたという事で、本当に良かったと思います。

それにしても11年というのは。簡単に大河の主人公を決めるというわけにもいかないのでしょうが、ずい分時間が掛かるものなのだと思った次第です。(あくまで推測ですが、全国各地から地元の武将を主人公にと、推す動きが多くあるのだと思います。採用されれば地場産業にとって非常に有益となるのは以前にも書いたとおりです。)

私にとって兼続を強く印象付けたのは隆慶一郎著「一夢庵風流記」を読んでからでした。それ以前にも司馬遼太郎「関が原」や藤沢周平「密謀」を読んでましたが、この作品以上に印象的な兼続にはまだ出会っていません。直情的な主人公前田慶次郎とは対照的に、常に冷静沈着でありながら確固たる義の武将として描かれてます。読後いわゆる非常に「いい男」としてのイメージが直江兼続に出来てしまい、それは今日も変わっていません。

実際にはどうであったのでしょう?と前記した「歴史読本」は直江兼続の特集だったので熟読したり、何年か前には山形県米沢市の上杉神社での宝物展を見学に行ったりしてみました。

上杉神社に収められている数々の宝物品の中で、なんといっても一番印象的なのは兼続が着用していた「愛」の一文字を前立にした兜です。普通戦国武将の兜といえば、敵を畏怖させるような拵えにするものなのでしょうが。この一点を見ただけでも兼続が普通の武将と異なる範疇にいる事が判ると思います。

通説ではこの「愛」はloveの意ではなく、当時の武将達が信仰した愛宕権現や愛染明王から取ったとされています。しかし、仮に国や民を愛するという意味で見た時、私が持つ上杉家執政直江兼続のイメージと合致してしまう事に気づきます。

何故なら、国とは当然上杉家の事。時の天下人豊臣秀吉から「山城守」や米沢30万石の贈与と何度も自分の家来になるように薦められていますが、決して上杉景勝の下を去るような事はありませんでした。

又、関が原後に会津120万石から米沢30万石に減封。上杉家では家臣達の出処進退は自らに任せたにも関わらず、去った者は2割程度で六千騎の家臣が残りました。家族や郎党を含めると約3万人。当時の米沢は3千人が住むのが精一杯な城下町でした。当然住む場所はおろか食べ物や水さえ足りない。そこで兼続は城下町に入りきらない下級家臣団を郊外に住まわせ屯田兵とし、開墾に従事させました。(彼らは後に原方衆と呼ばれる郷士軍団となります。)そして、新田開発、生活・農業用水路の新設、白旗松の植林、金銀銅山の開発、青苧(衣服の原料)や漆・綿の栽培。国造りのために出来る事を全て奨励したのです。

もちろん武の上杉家ですから武芸の向上も積極的に奨励しました。郊外に住む原方では町毎に武芸所を造らせ鍛錬するように指導。そして、上杉家は多くの名のある武芸者を招聘した事でも有名です。前述の前田慶次郎もそうですが、新陰流の上泉伊勢守信綱の直孫にあたる上泉主水泰綱もその一人です。(慶長5年((1600))長谷堂城の戦いで戦死。その後も米沢藩の家臣として上泉家は続き、伊勢守信綱生誕500年祭には子孫の方が米沢から駆けつけてくれています。)

又、兼続は側室を持ちませんでした。これは正室お船の方と生涯に渡って仲が良かっただけでなく、彼女が才媛で兼続を内助した賢夫人であったからだという事です。(ここは大河ドラマのポイントとなるでしょうw。更に景勝の唯一の実子定勝の生母が若くして亡くなった為、以後母代わりとなり養育したのがお船の方でもありました。)

兼続とお船の方の子供は全員若くして死んだ為、兼続の死後直江家は断絶します。これは上杉家の減封に対する責任や知行を返上する事で少しでも藩財政を助ける為に意図的であったとされています。(藩財政を助けるといっても、意図的に名跡を絶えさせるというのは当時の人達の常識からは逸脱しているといっても言いかもしれません。家を続かせるという事自体が自分の命より重い時代でありましたから。)

兼続が上杉家の為に行った政策の数々、他にもまだ書き切れない程あります。しかし、あくまで想像の域を出ませんが以上の事からもこの「愛」の一字は紛れも無く慈愛の意も込めていたと思えます、いや思いたいです。

現在も米沢市を流れる最上川には兼続が築かせた直江石堤が公園として保存され、秋には芋煮会の会場として賑わってるそうです。生まれ故郷の六日町と国造りに力を尽くした米沢市の方達にとっては紛れも無い英雄でありましょう。10年の長い時間を掛けてでも、自分達の誇れる人物を全国に知ってもらおうと尽力し続けた事には本当頭が下がります。

私もこのblogを書く為に兼続の事を今まで以上に勉強しましたが、その結果以前にも増して「いい男」度は上がってしまいました。これは来年の大河ドラマは本当に期待出来そうですよ。

コメント

  1. dr_strangelove より:

    私が読んだ本で、「関ヶ原」とか山田風太郎の「叛旗兵」とかで直江兼続が出てきてましたが、やっぱり私も、「一夢庵風流記」の兼続が印象深いです。
    隆慶一郎さんは、本当に続きが読みたかった本が多くて、もう少し生きていていらっしゃればなあと思います。

  2. Yubarimelon より:

    dr_strangeloveさん、こんばんわ。
    nice!とコメントありがとうございます。
    隆慶一郎氏の未完の遺作となった「死ぬことと見つけたり」が面白く、最後まで読みたかったと今でも残念に思っています。

error: Content is protected !!