福知山城 穴太衆野面積みの魅力

京都福知山市のシンボルといえる福知山城。1986年(昭和61年)に再建され、その後、城周辺の様々な整備事業が行われたが、昨年末に天守閣東側に復元された釣鐘門の建設工事完了し、城周辺の整備をほぼ完了した。(2009.3.16両丹日日新聞)

福知山城は明智光秀が天正7年(1579)に第2次黒井城の戦いで丹波国を平定後、掻上城であった横山城を近世城郭へ大改修し福智山城としたのが始まりであります。徳川政権時に朽木氏により福知山城と改名されたが、明治5年(1872)に廃城となり天守を昭和60年に復元した。(注1)

福知山城の見所の一つが野面積みで組まれた石垣であります。太閤記などで安土城築城のための石材が不足したことで信長が墓石や石仏を転用させるというエピソードが出てきますが、同様のものがこの石垣には見ることが出来ます。これ程多くの転用石が現在見られる石垣は他に筒井順慶が築城した大和郡山城くらいで、非常に貴重な史跡であるといえましょう。

野面積みとは自然石を加工しないでそのまま積上げる方式で、石の統一性がなく敵の侵入を容易にしてしまうが、排水性が高いために頑丈であるという利点があった。この福知山城の石垣は穴太衆による野面積みの一種穴太積み(あのうづみ)であるという。

穴太衆とは比叡山の麓の穴太の里出身で古墳の築城を手がけていた一族の末裔である。それまで寺院の石工などを手がけていたが、安土城築城で信長よりその技術力を買われ抜擢された。以後、江戸時代初期に掛けての城郭に携わり、多くの藩に召抱えられた。

今回整備された福知山城には転用石による石垣の他に見所も多く、天守内には明智光秀関連の資料や遺物が展示されている資料館は人気であるということです。桜の季節をこれから迎え、多くの人が足を運ぶことになるでしょう。

注1:掻上城とは高台の屋敷の周囲に空堀を掘って、その土を盛り上げて土居にした空堀と土居だけからなる城のこと。

コメント

  1. J より:

    お邪魔してみましたよ、again。
    福知山は、私が中学生時代を過ごし、山野に触れた数少ない故郷です。
    最近、出張時の乗り継ぎで駅に降り立ったら、当時とは全く景観が違っていました。
    ミシュランに認められることはありませんが、寂れた街が活況を呈することを望みます。

  2. Yubarimelon より:

    xml_xslさん、takemoviesさん、shinさん、nice!ありがとうございます。
    Jさん、コメントありがとうございます。ミシュランに掲載されてなくても、素晴らしい史跡を持っていることを羨ましく思います。

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