纒向遺跡 卑弥呼の宮殿を発見?

邪馬台国の「最有力候補地」とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で女王・卑弥呼(?~248年ごろ)と同時期の3世紀前半の建物群が見つかったと、桜井市教委が20日発表した。(2009.3.20毎日jp)

今回発見された三棟の建物の跡は西の端にあることから、「ここから東側を発掘していけば神殿のような中心的建物の発見があるかもしれない。」とも。(2009.3.20産経新聞)

現時点では卑弥呼と同時代の大規模な遺跡かもしれないということなので断言は出来ませんが、「邪馬台国畿内説」の可能性は高まったと言えるかも知れません。仮に纒向遺跡の場所に邪馬台国があったと確証されたなら、それは大発見であると同時に「空白の世紀」と呼ばれ、もやもやしている4世紀の日本史を埋めるはっきりとした手がかりになってくれることでしょう。

私自身は個人的に「邪馬台国九州説」を取っていただけに今回の発見のニュースは驚きでした。魏志倭人伝には帯方郡(諸説あるが韓国ソウル近郊)から倭国へ至る方位や距離が記されています。そこから邪馬台国の位置を推測しようと、今までに多くの学者達があれこれと頭をひねってきましたが答えは出ていません。

それよりも邪馬台国と戦争をしていた狗奴国に注目したほうが判りやすいのではないかと以前から考えてました。魏志倭人伝にははっきりと狗奴国は邪馬台国の南にあると書かれているからです。邪馬台国自体の場所が特定できないために、狗奴国の場所も特定できる確証はありません。しかし、一つの説として狗奴国が「古事記」や「日本書紀」のヤマト王に対抗した南九州の一族熊襲へと発展したというのは説得力があるような気がします。

邪馬台国は大規模でないにしても卑弥呼を中心とした連合国家でした。それら連合に組しない、組することが出来ない異質な風習を持った国、狗奴国。空白の世紀の間も存続し、やがて近畿地方に起こったヤマト王とも対立するのは必然的ではないかと。狗奴国=熊襲であるなら、邪馬台国が北九州にあった考えるのが自然です。

ところが、平成13年に滋賀県神郷亀塚古墳の発掘で、明らかに畿内のものとは異なる形状、埋葬方法から狗奴国の有力者の墳墓ではないかと発表があり、私の頭は混乱するばかりなのです。(狗奴国が邪馬台国を滅ぼし、東進した説と合致する。)

何はともあれ、今回の纒向遺跡の発見で邪馬台国の場所が特定されるのがそう遠い未来ではないことを祈るばかりなんです。

コメント

  1. Yubarimelon より:

    mwainfoさん、takemoviesさん、kakasisannpoさん、xml_xslさん、shinさん、kaafuさん、Fumikoさん、sigさん、nice!ありがとうございます。

  2. 【佐賀】邪馬台国を考える会(仮称)4月に発足 畿内説との討論などを交えながら吉野ケ里遺跡が邪馬台国であったことを究明

    吉野ケ里遺跡(神埼市郡)が邪馬台国であったことを歴史、考古学的に究明する「邪馬台国を考える会」(仮称)が四月発足する。連続講座やシンポジウム、畿内説との討論などを交えながら、市民レベルで九州邪馬台国説を補強していく。

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