彦根東高校 現代によみがえる井伊の赤備え

選抜高校野球大会5日目の26日、彦根東は第3試合で習志野(千葉)と対戦する。21世紀枠での半世紀越しの“キセキ”に、学校や卒業生らの応援準備にも自然と熱が入っている。(2009.3.26YomiuriOnline)

試合の結果は4-5で彦根東が敗れてしまいました。しかし、この日応援席を埋めた赤一色は強烈な印象を残しました。それは戦国時代井伊の赤備えとして恐れられたものと同じだったからです。

彦根東高校の歴史を調べてみると、その前身は寛政11年(1799)に藩主井伊直中公が城内に設けた藩校稽古館にまで遡るそうです。スクールカラーを赤としているのも、強く井伊家を尊重している証拠であるわけです。

そもそも、井伊の赤備えの元を辿れば、甲斐武田の飯富虎昌が自らの部隊を赤で統一したことが始まりであるとされている。虎昌が信玄の嫡男義信の謀反に連座し切腹したため、武田の赤備えは弟の山形昌景に引き継がれた。武田の赤備えを見ただけで、敵が畏怖したのも昌景の勇猛さを物語っているといえましょう。

武田家滅亡後、本能寺の変の混乱に乗じて徳川家康は甲斐と信濃を平定します。この時に旧武田家家臣が配属されたのが井伊直政の軍団だったのです。天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで初めて井伊の赤備えを披露し、徳川の先陣を担いました。以後幕末まで井伊家の軍装は赤が基本と統一されてきました。

歴史に裏付けされた彦根東高校の赤いスクールカラーを、私は個人的に羨ましく思いました。彦根の人にとっては、今も井伊家の歴史をとても大切にしている証であるわけですから。夏の大会で再び、平成の井伊の赤備えを見たいものです。

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