堀次郎将俊 その功績を著した書を明石市に寄贈

寛文年間(1661-1673)に明石縮の技術を越後(新潟県)に伝えたとされる明石藩士の堀次郎将俊を紹介した書物「縮布とおけさぶし」(A5判155ページ)が、筆者の阿部英作さん(昨年12月、95歳で死亡・写真)の遺族から明石市教委に寄贈された。市教委は23日から希望者に無料配布する。(2009.4.15毎日jp)

新潟県小千谷は全国でも有数の豪雪地帯。戦後、この地方の農家では男達は冬期に出稼ぎに出かけ、女達は家庭で織布を織る内職で糊口をしのいだ。農家の冬の間の重要な副業であった小千谷織布を創始したのが、明石藩浪人堀次郎将俊であります。

本々、越後の麻布には歴史があったのですが、将俊はこれに明石織布の技術を応用し独自の織布を生み出したのです。それを当地の婦女子達に伝えたのが現在の小千谷織布の始まりであるわけです。小千谷市の船岡公園には将俊を祀った明石堂があります。また、小千谷は北越戦争の古戦場でもありました。公園の北側にある慈眼寺は河井継之助と岩村精一郎が交渉を行った、いわゆる小千谷談判の舞台となった場所です。

さて、私が記事で一番気になったのは、将俊の娘けさが唄ったのが民謡「おけさ節」の起源であると書かれてるところです。おけさ節といえば佐渡おけさが有名ですが、越後地方にはこれとは別に柏崎おけさ、出雲崎おけさ、新潟おけさ、寺泊おけさ、巻おけさ、浜おけさ等々、実に沢山あるわけです。その起源には様々な説があるのですが、一般的にはおけさ源流の碑がおかれている出雲崎の出雲崎おけさが越後地方のおけさの始まりではないかと思われています。

「出雲崎おけさ」は建久年間(1190-1199)に源義経の忠臣佐藤継信、忠信兄弟の母がこの地で尼となり兄弟の天晴れな最期を喜び、袈裟姿で踊ったのが起源であるという。小千谷は出雲崎の南30kmに位置するため、時代は下がり江戸時代の堀次郎将俊の娘子けさが唄ったのはその派生ヴァージョンであるおけさ節だったのではないでしょうか?

疑問符をつけているのは私自身が阿部英作氏の著書「織布とおけさぶし」を読んでいないゆえにはっきりしていないためです。いろいろ調べてみたのですが、娘子けさが起源とされるおけさ節が何であったのか、どうやらこの書籍を読んでみないと判らなさそうなんです。現時点では配布される書を読む機会はないわけなんですが、いずれにしろ調べてはっきりさせたいと思ってはいます。

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