非業の死を遂げた鶴姫 420回忌供養

16世紀、豊前国の一部を治めた豪族・宇都宮鎮房(しげふさ)の娘、鶴姫の供養祭が命日の22日、吉富町小犬丸の宇賀貴船神社で営まれた。町指定文化財の供養塔(高さ約2.5メートル)の移設記念で、末孫や町民ら約50人が、非業の死を遂げた姫に思いをはせた。 (2009.4.23YomiuriOnline)

建久六年(1195)、下野国宇都宮信房が地頭職を得て入部したのが豊前宇都宮氏の始まりである。天正十四年(1586)に秀吉は九州征伐に従軍するよう板井郷城主板井(宇都宮)鎮房に命じました。しかし、九州征伐終了後に板井氏の領土は安堵されず、伊予国今治へ転封するよう命が下り、豊前には代わりに黒田官兵衛孝高が入部することに。これを不服とした鎮房は黒田氏と対決姿勢をとり、板井郷城に攻め込み奪還します。

板井郷城は狭い渓谷の最奥に位置する天然の要害であったため、秀吉の援軍2万を借りても黒田氏は攻めきれません。そこで、旧領は安堵し、鎮房の娘鶴姫を嫡子長政に嫁がせるとする条件の和睦を提案し、これを鎮房は了承。天正十七年中津城にて、黒田親子と鎮房は対面することになりますが、秀吉は自分の仕置きに反抗の姿勢を取った九州の国人衆を許さず、鎮房を謀殺するように命じました。鎮房は酒宴の最中に後藤又兵衛の槍によって落命。鶴姫も待女ら13名と共に磔にされてしまいました。

歌舞伎が好きな方でしたら、鶴姫と黒田如水の恋を描いた「斑雪白骨城」をご存知かもしれません。如水の天下取りの為に、築城の人柱になる鶴姫という話なのですが、鶴姫の人柱の場面が十字架にかけられるという演出に、磔になった史実と重なるようで胸の痛い場面となっています。

鎮房の死後、中津城に亡霊が出るという噂がたち、長政は謀略で鎮房を殺したことを悔い、城内に板井神社を建立します。後に福岡城が築城された際にも、これを創建し供養したということです。豊前宇都宮氏は嫡男板井朝房も殺され、断絶したかのように思われてましたが、朝房の懐妊していた妻が逃げ延び、男子を出産。越前松平家に仕えたことで、板井氏の血脈は現在も続いています。

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