歴史の舞台に想いを馳せる 池田屋騒動址の屋号が復活

幕末の大事件「池田屋騒動」の舞台となった京都市中京区の「池田屋」跡で、約130年ぶりに「池田屋」が復活する。7月に新たに開店する居酒屋の店名に「池田屋」が冠されるためで、地元の商店主なども「町おこしの起爆剤に」と期待を寄せている。 (2009.4.24京都新聞)

京都三条小橋西の旅宿「池田屋」に近藤勇をはじめ新選組隊士10名が突入したのは、元治元年6月5日(1864.7.5)夜10時頃でした。20数名いた浪士のうち、宮部鼎蔵ら9名を討取り4名を捕縛。尊攘過激派による御所焼討ちを未然に防いだとして、新選組の名を天下に響かせることとなりました。

事件の舞台となった池田屋の主人である池田屋惣兵衛は浪士を匿っていたとして六角獄に送られ、1ヶ月後の7月13日に熱病により牢死、お墓は霊山墓地にあります。享年42歳。

池田屋騒動に参加した新選組隊士で死亡した者は事件後も含めると安藤早太郎、奥沢栄助、新田革左衛門の3名です。諸説ありますが、先陣をきった近藤に続いて屋内に突入したのは、永倉新八の「浪士文久報国記事」によれば沖田総司、藤堂平助、そして永倉の4名だったようです。いずれも「試衛館」の猛者ばかりで、重傷を負いながらも生き抜いています。では、副長助勤であった安藤、平隊士の奥沢と新田は剣の技量が劣っていたのか?となりますと、答えはNoです。池田屋捜索前に近藤は出動隊士34名を二手に分けました。副長土方歳三の隊を24名とし、自身には少数でも実力のある者9名を自ら選抜したのです。その安藤ら3名が守りを堅めたのが池田屋の裏口だったのです。

ここは新選組の物語で最大の見せ場である近藤勇の池田屋2階へ駆け上がる場面でありますが、実際奇襲をかけられた浪士達はまさか新選組がたった10名で取締りに来たとは思わなかったのでしょう。夜中でしたし、寄せ手の規模を確認するよりまず逃げ落ちる事を第一に考えたのも無理はありません。前述の宮部ら尊攘派の実力者達は暗闇の中で近藤・沖田らと正面から斬り結びましたが、その他の浪士約10数名は2階から下に飛び降り裏口に殺到したと思われます。

鎖帷子、鉢がねで重武装していたとて倍近い人数であり、死に物狂いの浪士達を相手では安藤、奥沢、新田も適わなかったでしょう。奮戦したとはいえ、奥沢栄助は即死。屯所に引き上げ後、安藤早太郎は7月22日、新田革左衛門も同月に事件当夜の傷が悪化し死亡しています。3名とも壬生寺に埋葬され、野口健司ら7名と同じ墓石に名前が刻まれています。

私が京都を観光した際、まだ池田屋騒動址の店舗はパチンコ屋さんだったので中には入りませんでした。ですが、今度居酒屋さんになるというのは楽しみですね。願わくば、あまり威勢の良すぎる居酒屋ではなく、歴史の舞台に想いを馳せながらお酒が楽しめる雰囲気のお店であってほしいと思います。

コメント

  1. わか より:

    これは楽しみですね。
    霊山墓地、行ったことがあります。
    龍馬ではなくパール博士顕彰碑を見に行きました。

  2. Yubarimelon より:

    コメントありがとうございます。
    本当に楽しみですね。私にとって京都は簡単に行くことの出来る場所ではありませんが、訪れたい場所が一つ増えれば、又行きたいという気持ちが強くなるに違いないと思います。

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