飯沼貞吉 蘇生した白虎隊士の子孫が会津を墓参

戊辰戦争で自刃した白虎隊でただ1人生き残った飯沼貞吉の孫飯沼一元さん(66)=東京都在住=は26日、福島県会津若松市大窪山の飯沼家墓所を初めて訪れた。貞吉の父母らの墓があることを知って足を運び、古里で眠る祖先の霊を慰めた。(2009.4.27福島民報)

慶応4年8月23日(1868.10.8)会津戦争において飯盛山で自害した白虎士中二番隊19名のお墓から少し離れた場所に、後に蘇生し昭和6年まで仙台で生存した飯沼貞吉のお墓があります。ここに彼の墓が建立されたのは死後26年も経った昭和32年会津若松市が開催した「戊辰戦争後九十年祭」に際してのことでした。

貞吉の遺言は自身の遺髪と義歯を「もし会津の方より希望あらば贈りてもよい。」という微妙な言い方であったそうです。本人の口から出たわけではないのでしょうが、維新後彼は会津に戻り難かったと伝えられています。生真面目で頑固な会津人の気風から一人だけ生き残ったことへの風当たりは相当なものだったのではないかと思われます。

「どうして自分独りだけが生き延びてしまったのだろう」と貞吉は生きることの苦しさを随分味わったことでしょう。ですが、現在白虎隊の物語が広く世に伝えられているのは彼が晩年になってようやく重いその口を開き、自分が伝えなければ自害した隊士達の死が無になってしまうと思ったからに違いありません。

そして、ここに同じ会津出身の根元一という方がおられ、貞吉の遺骨が仙台だけに葬られたことを知り、会津弔霊義会に飯盛山への分骨を働きかけました。当初は全く相手にもされなかったため、その時のことを「物は見方と解釈とに依るものなり。遥かに鶴ヶ城を臨み見て君公の跡を追わんとするものと、一同揃って殉死を決行したるは、死して護国の鬼となり、七生報国の尽忠至誠に出でたるものなり。其奇跡的残存は別問題なり。寧ろ翁が偶然老婆のために蘇生されしは会津の為の好方便というべく、もし翁の蘇生なかりせば、殉死当時の壮烈の実況は誰によりてか知悉することを得べきや。伊国の奇傑ムッソリーニをして会津白虎隊は世界的武士道の亀鑑なり、と激賞措く能わざらしむに至りしは、まったく翁残存の賜物というべし」と述べています。

1999年11月6日福島県喜多方市入田付村沼尻の不動堂に貞吉の孫にあたる栃木県在住の飯沼一浩氏が「蘇生白虎隊士 飯沼貞吉ゆかりの地」という碑を建立しました。インターネットで貞吉を介護した方々の子孫を地元郷土史家が発信したのを頼りに探し出したということです。子孫達の話を元に貞吉が飯盛山での自害から蘇生までの足取りが近年ようやく解明されたのです。

それまで最初に貞吉を見つけ出し救助したのは印出ハツと渡部オムネであると思われてきました。しかし、実際は彼を一番に発見したのは自害した隊士達から遺品を盗んでいた盗人だったのです。懐から剣を盗もうとした時に貞吉が息を吹き返し、腕をつかまれ驚いた盗人は介抱する振りをし、自分の住処である八ヶ森まで運んできて、そこで懐剣だけ盗み出して彼をその場に放置していきました。そこに通りかかって救助したのがハツとオムネであったのです。

貞吉が生き延びられたのも、彼女らの懸命の手当てがあったからだと思われます。しかし、周りは官軍であふれ返り、東軍狩りが行われています。そこでハツは貞吉を連れて喜多方不動堂まで落ち延び、介抱しながら身を隠していたということです。

飯盛山にある貞吉のお墓の案内板を読むと、墓と顕彰碑を建立したのは財団法人前島会仙台支部と書いてあります。現在では会津の方々も貞吉を白い目で見たりすることはないのでしょうが、自害した隊士19名と共に飯沼貞吉のその後の人生を思うたび、私は胸がいっぱいになってしまいます。

参考文献:根本 一「飯沼貞雄翁の遺髪と義歯」(『会津会雑誌』第38号所収)

コメント

  1. mwainfo より:

    いつもお寄りいただき感謝します。会津の女性は日本一気位が高いと聞きます。藤原正彦氏が「国家の品格」の中で紹介した会津藩、什の掟にある
    「ならぬことはならぬものです」は理屈抜きのすごい掟ですね。

  2. sig より:

    こんばんは。
    数年前会津を訪れ、飯盛山から鶴ヶ城を臨んだとき、白虎隊士の心境を思い胸がこみ上げてきて仕方なかったことがありました。
    本文中にもあるように、飯沼貞吉が生き残らなかったらこの史実の内実は分からずじまいであったはずです。ようやくこのように評価されるようになって、本当によかったと思います。

  3. Yubarimelon より:

    コメントありがとうございます。
    mwinfoさん、こちらこそありがとうございます。藤原正彦氏の著書今度読んでみたいと思います。
    sigさん、飯盛山へは中学生の時に初めて行ったのですが、その時はかなりの衝撃を受けた事を記憶しています。時代と共に歴史の評価は変わりますが、白虎隊への思いは変わらないと思います。

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