岩宿遺跡 旧石器発見60周年を記念する資料展・講演会

群馬県みどり市岩宿遺跡で旧石器時代の石器が発掘されてから60周年を迎えたのを記念して、みどり市笠懸町阿左美の岩宿博物館(三輪延也館長)は5月1日から、資料展示や講演会、企画展などを連続開催する。1949年に民間の研究者、相沢忠洋氏が発見した黒曜石製の石器も展示され、考古学ファンの人気を集めそうだ。(2009.4.30毎日jp)

昭和24年(1949)以前の国内の考古学界では、日本における人類の歴史が縄文式土器を使用する新石器時代(約9000年前)から始まったとする説で定着していました。しかし、この年考古学に情熱を傾ける相沢忠洋氏(当時24才)により、それまで人が生活する事が出来ないと考えられていた火山灰が堆積して出来た関東ローム層(赤土)から黒曜石で作られた槍状の石器が発見されました。この大発見により歴史は塗り替えられ、旧石器時代(約20000年前)にも人が存在していた事が証明されたのです。

戦後、群馬県桐生に復員した相沢氏は納豆の行商をしながら糊口をしのいでいたそうです。仕事の後で岩宿の赤土を発掘中に黒曜石の人為的な石を発見し、その後完全な槍状の石器を発見するにいたったのです。彼はこの場所に土器は使用しないが、石器を使う古代人がいたのではと推測するようになったわけです。

当時、相沢氏は周りから行商をしているような人が考古学をするとはと変人扱いされていたそうです。また、明治大学の教授らによる発掘チームと合同で岩宿を調査し同じ黒曜石の石器が発見され、氏の推測が正しかったことが立証されましたが、学会は氏を無視し、マスコミも発掘調査を行った教授らだけを中心に取上げていた。

しかし、相沢氏は名声や金銭欲から考古学を志したわけではありませんでした。彼は戦時中自分の家族がバラバラに引き離されるという大変な体験をしました。氏が発掘した石器や土器を愛した理由は、それを使用したであろう古代人が焚き火を囲み、家族の愛情にあふれていた事を想像することを何よりも楽しみとしていたからです。自分にはなかった家族団欒に大変憧れをもっていたからなんです。

昭和35年に岩宿遺跡は群馬県指定の史跡に登録され、発見者の相沢氏も表彰されました。昭和47年には日本考古学会にも正式会員として参加できました。そして、平成元年に脳内出血で急逝、享年63歳でした。

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