山本菅助 群馬県安中市民家で信玄の書状を新発見

戦国時代の武将武田信玄(晴信)に仕えた「軍師・山本勘助」が実在したか注目される中、信玄が家臣山本菅助にあてた書状が、群馬県安中市の民家で見つかった。(2009.5.1山梨日日新聞)

山本勘助はその名が戦国時代甲斐武田氏の軍学書「甲陽軍艦」と江戸時代の軍談にしか見出せなかったことから、実在の人物ではないという説が定着していました。しかし、昭和44年大河ドラマ「天と地と」を観た視聴者が先祖から受け継いだ古文書に「山本管助」なる名前が記されているという書状(市河文書)を鑑定したところ、これが本物であると確認されたことで俄かに山本勘助実在説が浮上してきたのです。

山本勘助実在説は唯一「市河文書」の「管助」の存在だけが論拠で、「甲陽軍艦」の「勘助」と同一人物であるという証明をすることは出来ませんでした。今回発見された書状の詳しい鑑定はまだのようですが、「管助」が信玄の要請で重臣小山田信有の見舞いに行ったとする内容から、この管助が重臣会議に列席できるくらいの地位にあった人物ではないかと想像できます。

小山田氏は信玄の父信虎の時代に甲斐武田氏の軍門に下ったのですが、桓武平氏を先祖に持つ武蔵国の豪族で甲斐源氏武田氏にも引けを取らない一族であるのです。武田氏の一翼を担う程の小山田氏を主君の代わりに見舞いをしたのであれば、やはり重臣の席順は下のほうでも顔の知れた人物に依頼するのが順当であると考えられます。「甲陽軍艦」の山本勘助が足軽大将という地位にあったとすることから、管助と勘助が同一人物であると現時点では100%言い切れないものの、一歩近づいたといえるのではないでしょうか。

それにしても、一民家からこのような書状が発見されるとは驚きです。まだまだ未発見の新資料によって歴史が一夜にして塗り替えられる可能性があるのだということを実感しました。そして、定説とされる歴史に疑問を持つ想像力こそ、隠れていた史実を明るみに出すことが出来るということも間違いないようです。

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