沈黙 遠藤周作の代表作をM.スコセッシが映画化

島原の乱(寛永14~15年)後の長崎を舞台にした、遠藤周作の小説「沈黙」を米の映画監督マーティン・スコセッシが映画化することが決定した。公開は2011年を予定している。(2009.5.16長崎新聞)

「沈黙」は、以前blogに書いた支倉常長をモデルとした「侍」と同様にキリスト教を主題にした作品です。「侍」ではスパイス的な扱いでありましたが、本作は神父が主人公ゆえ最初から最後まで、このテーマと向き合うことになります。私も読後大いに感動したのですが、かなり時間が経ってしまっているので詳しい記述に関しては記憶が薄れてしまいました。映画公開前には、もう一度読み直したいと思っています。

小説「沈黙」は島原の乱後の過酷なキリシタン弾圧の中で棄教してしまった、実在のイタリア人神父ジュゼッペ・キアラをモデルにしています。小説と同様にキアラが禁教令の布かれた日本に渡ってきたのは、彼の師であり高名なイエズス会宣教師クリストファン・フェレイラが拷問に屈して棄教したことを知ったからであります。

作家遠藤周作は主人公が最終的に棄教を決断した理由を、自らが犠牲になることで殉教する人々を救ったのだと踏み絵の中のキリストに語らせます。師であるフェレイラも同様の理由で棄教したとしているが果たして真実はどうであったのだろう?

キアラもフェレイラも穴吊りの拷問に掛けられ、刑に耐え切れず棄教を決断している。この刑は過酷な苦痛を伴うが、決して死なないように処置されているそうです。更に刑に掛けられている間も意思表示が自由に出来たことから耐え抜くのは困難であったということです。1633年、天正遣欧使節の中浦ジュリアンらと共に拷問されたフェレイラは、彼一人だけが耐え切れずに棄教した。キアラとフェレイラは後に日本人の名前を与えられ、江戸の切支丹屋敷で暮らし生涯を終えました。

キアラはキリスト教の布教の真意は日本征服の準備であると幕閣に語り、フェレイラと共に切支丹の取り締まりに協力したということです。置かれた環境から察するに、彼らの心の奥底を測ることは簡単ではありませんが、小説と史実に温度差があることは確かなようです。

error: Content is protected !!