箸墓古墳 卑弥呼の死亡時期と築造期が重なる事が判明

国立歴史民俗博物館の研究チームが奈良県桜井市纏向遺跡内にある箸墓古墳の周辺から発掘された土器を「放射性炭素年代測定法」で分析した結果、「魏志倭人伝」に記されている邪馬台国の女王卑弥呼の死亡時期と一致すると発表した。(2009.5.29MSNニュース)

箸墓古墳は平成8年12月に奈良県桜井市教育員会が築造を3世紀初頭と発表するまでは、3世紀後半から4世紀初頭に造られたとする説が一般であった。「魏志倭人伝」の記述から卑弥呼が死亡したのを248年頃(正始年間)であると予測しても、50~100年のズレがあったことになる。しかし、この発表により邪馬台国畿内説は箸墓古墳を卑弥呼の墳墓であるとし、有力な根拠の一つとしたわけです。

話が少し逸れてしまうのですが、平成8年に考古学界ではある衝撃的な発表が行われました。それは大阪府和泉市と泉大津市にまたがる池上曽根遺跡から出土した柱根を年輪年代法で測定したところ、これまで紀元1世紀後半の遺跡であると考えられていたものが、実は100年以上も古い紀元前52年であったと測定されたからです。

年輪年代測定法はご存知のように樹木の年輪から古代の建造物の築造期などを測定する方法です。欧米のような乾燥地帯では有効であっても、日本のように気候の変化が地域毎に複雑な国では有用ではないと長い間云われて来ました。しかし、1980年代に奈良国立文化財研究所の光谷拓実氏がこの年輪年代法の本格的な研究を開始します。光谷氏はもともと植物学を専攻していたことから、各地の営林署をまわり徹底的に樹木のデータを取ることから始めたのです。

年輪年代測定法が日本で使えるのかどうかは、ひとえにデータの収集以外に判断できなかったということです。データが揃いはじめてようやく、多くの日本の古代建造物に使用されている杉や檜から地域に関係なく年輪の幅に共通のパターンが存在していることを突き止めました。ここに日本でもこの測定方法が有用である見通しがついたわけです。年輪年代法の有用性が確立されたのは1985年滋賀県宮町遺跡から出土した柱根の測定で、「続日本紀」の紫香楽宮が建設された時期の記述と一致し、更には季節にまで踏み込んだ一致をみたのでした。

年輪年代法の導入により、これまでの弥生時代の史観も一遍してしまったわけです。池上曽根遺跡の築造期の発表は、それまで畿内の歴史が九州より100年は新しいという年代観の定説を見直す切欠となりました。すなわち、九州と畿内の歴史は同一年代であると。

・・・続く。

(このblogの後半部は5月31日にupする予定です。)

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