彦根藩 150年のわだかまりを払拭すべく吉田松陰の墓参り

幕末、安政の大獄で吉田松陰をはじめ尊攘派を弾圧した大老井伊掃部頭直弼(1815-60)の国元である滋賀県彦根市の市長が8月下旬に市民と共に山口県萩市を訪問し、松陰の墓参を計画している。(2009.6.10Yahooニュース)

慶応4年(1868)正月3日に戦火が開いた鳥羽・伏見の戦い。兵力では3倍もの優勢を保っていた旧幕府軍であったが、薩長土藩の銃火器の性能と西欧式散開戦術に緒戦の鳥羽街道での戦いから大敗を喫してしまった。

一方、伏見街道方面では会津藩、新選組の本営伏見奉行所向かいの御香宮神社に薩摩藩が入り対陣したが、神社の東側にある龍雲寺高地を彦根藩が守備していたので、これに対してはさほど注意を払っていなかった。実際は態度が鮮明でない彦根藩を薩摩藩は退けてしまい奉行所を見下ろす丘陵に砲兵部隊を引き上げていた。

戦いの口火となったのは鳥羽街道で始まった戦闘の砲声であった。高台から撃ち下ろされる砲弾と神社からの十字砲火に会津藩兵や新選組隊士は混乱状態に陥った。まさか、味方であるはずの彦根藩が寝返るとは夢にも思わなかったのであろう。

もの事に順序があるのだとしたら、私は彦根市が尊攘派の都市との友好親善を結ぶのも大いに良いことだと思いますが、いくら勤皇派が政権を牛耳ったからとはいえ徳川譜代筆頭藩であったにもかかわらず寝返りを行った史実のほうが、余程わだかまりを残しているように感じます。この記事を会津若松市や桑名市の人が読めばどのように思うかは火を見るより明らかでありましょう。

なるほど、確かに安政の大獄を断行した井伊直弼によって幕末の多くの優秀な人材が失われてしまいました。私は安政の大獄を肯定するわけではありませんが、井伊直弼という人物には一本筋が通っていたと思っています。海外の情勢に対して、日本が下手に攘夷を行えば清国の二の舞であることをいち早く見抜いてたはずです。そのためには開国をして富国強兵することが最善であると考えていたのでしょう。強引で先例のない方法を行い、その結果暗殺にまでエスカレートする非難を浴びることにはなってしまいましたが、現代的な視点から見ればそれは私利私欲のためではなく、徳川家あるいは日本国のために信念を貫いたともいえるのではないでしょうか。

記事中の萩市訪問は彦根市が主催するイベントの一環として行われるようでありますから、大いに盛り上がってくれればと思います。しかし、一方では幕末に彦根藩が行った歴史認識を明らかにすることの必要性も大いに感じます。彦根城をはじめとする素晴らしい史跡を遺す街ですから、ぜひ歴史的に関わりのある全ての都市との親善を行い、わだかまりをなくす先例になってほしいと心から願うわけです。

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コメント

  1. fuzzy より:

    戊辰戦争の軋轢。会津と薩摩も記事にされてましたね、たしか彦根藩は政府軍に加担し会津藩を攻めましたよね。歴史は面白い。私は会津藩・長岡藩贔屓でして河井継之助も好きな武士です。奥州諸藩に対する長州の過酷な戦後処理に対しては言葉もありません。追)世良修蔵が暗殺された事件には痛快な思いさえします。

  2. Yubarimelon より:

    fuzzyさん、コメントありがとうございます。
    私は特にどこかの藩の贔屓というのはありませんが、河井継之助は好きな人物の一人です。機会があれば又勉強したいと思ってます。

  3. bamboosora より:

    自分の信念を貫き、この時代を生きた人たちは日本という国の将来を
    真剣に考え、生き抜き、あるいは命を落として行ったんですね。
    僕は以前コメントさせて頂いたように、読書が苦手なので、映画や
    ドラマ、歴史番組などを通じてこの時代に興味を持ちました。
    歴史というものに興味が出てくると、過去に犠牲となった尊い命を
    大切に思えるようになったり、先人の残した偉大な実績、あるいは
    その実績に関わった人たちに対して尊敬の念を抱いたりするように
    なるもんなんですね。

  4. Yubarimelon より:

    bamboosoraさん、コメントありがとうございます。
    真摯なご意見をいただき感謝です。

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