天草四郎は妻帯していた? 尾張徳川家の史料から新発見!

江戸時代初期に起こった最大の切支丹一揆島原の乱の指導者であった天草四郎に妻がいたことを示す史料が尾張徳川家から見つかった。島原の乱時には16歳くらいであったと思われる四郎のこれまでのイメージを覆す発見なだけに、今後の研究に注目が集まりそうだ。(2009.6.11熊本日日新聞)

天草四郎、本名を益田四郎時貞は寛永14年10月25日から15年2月28日(1637.12.11-1638.4.12)の島原の乱における幕府の原城攻撃の際、自害したとされている。関ヶ原の役で滅亡した小西行長の家臣の子として生まれ、母の実家のある天草諸島大矢野島(現熊本県上天草市)で生まれたとされるが確たる証拠はない。この小西家の遺臣や切支丹達から擁立された四郎は救世主として様々なイメージが作り出され神格化された存在であったという。このイメージは、原城の一揆勢が皆殺しにされた為に四郎の首実験をした幕府役人も本人を最後まで確定できなかった結果、今日までそのまま持ち続けられているようだ。

記事にありますように、今回の発見はこれまでも確認されていた史料の中から見つかったというものです。つまり、見落とされていた史料なわけで、今後の調査次第では面白い新説となりそうです。天草四郎といえば、薄幸の美少年といったイメージがあるようなので、好きな方にしてみれば、気が気でないといったところでしょうか。

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