飯田覚兵衛直景 加藤清正を偲ぶイチョウ木の由来碑を子孫が建立

加藤清正の重臣飯田直景(1562-1632)が福岡の屋敷に植えたとされるイチョウの木の由来を記した碑を、子孫の飯田直喜氏が建立した。 (2009.6.18西日本新聞)

飯田直景、通称覚兵衛は加藤清正とは幼少時よりの竹馬の友であり、森本儀太夫一久、庄林隼人一心と並んで加藤家の三傑と呼ばれた。武勇に優れ、槍を使わせては右に出る者なしといわれたほどであったという。文禄の役の第2次晋州城攻防戦(1593)では後藤又兵衛基次と一番乗りを競ったことでも有名である。

現在の熊本城には平成17年に復元された飯田丸五階櫓がそびえています。明治時代に熊本鎮台が置かれた際、不要であるとして破却されていた櫓を熊本市民の要望により現在の姿に戻したのです。この隅櫓がある場所は熊本城本丸南西部で覚兵衛が管理していたことから飯田丸と呼ばれ、櫓は小さいながら天守閣の機能を充分備えているので、有事の際にはここより即座に出陣することが可能となっていました。

その飯田覚兵衛が加藤清正を偲んで熊本から植樹したというイチョウの木。寛永9年(1632)に加藤忠広が熊本藩の改易を受けた時、老境であった覚兵衛はどんな気持ちであったろう。

『自分は若い頃は戦場から逃げ帰りたくて仕方ない程の臆病者だった。しかし、清正公はその度に見事であったと褒めてくれた。そして、このままではいけないと思うようになり、命がけで戦うようになった。考えてみれば、最初から自分は公に騙されていたのだ。だが、後悔はしていない、清正公は騙され甲斐のある主人であった。』

山城国山崎(現京都府天王山山麓)で、幼少時より一緒であった加藤清正とつくり上げた国と城を失った覚兵衛の悔しさと悲しさも、主人の思い出と共にこのイチョウの木の植樹に込められているのではないでしょうか。木は現在も大切に管理されているということなので、歴史の生き証人としていつまでも残っていてほしいと思います。

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