磐城平城 風化しつつある歴史遺産に再び光を

戊辰戦争では奥羽列藩同盟に組したため、新政府軍の攻撃により落城した磐城平城(現福島県いわき市)。現在は大部分の跡地が宅地化し、堀や石垣の一部が往時の面影を残すだけとなっている。この歴史遺産を市のシンボルにしようと開発を免れた本丸跡などの保存に向け、まずはシンポジウムが開かれる。(2009.6.23毎日jp)

関ヶ原の役の後、徳川譜代の鳥居忠政が飯野平に新たに入部し、それまでの地名を磐城平と改め、城を築城したのが磐城平城の始まりである。忠政の父元忠は家康が竹千代と呼ばれ今川家の人質であった頃から側に付き従っていた側近中の側近である。

慶長5年上杉征伐に向かう家康は伏見城に残した元忠に城の死守を命じた。それは会津に向かう間に石田三成が挙兵するであろうと予測してのことからだ。実際、三成率いる西軍が伏見城を攻撃した7月18日(1600.8.26)に家康はまだ江戸城に留まっていたのである。一方、元忠の玉砕覚悟での篭城に西軍は予定外の時間を掛けてしまい美濃方面の攻略が不十分のまま関ヶ原での合戦を迎えることとなってしまった。

三河武士の鑑と称された鳥居元忠の子忠政は家康に従い、関ヶ原の役での功績により磐城平10万石の大名となった。

磐城平城のように戦史の舞台となった城郭が保存に向けて動き出したというのは、嬉しいニュースであります。現時点で復元とまではいかなくとも、市民が城郭史を語り継ぐことの出来る条件だけでも整っていれば、将来に明るい材料といえるのではないでしょうか。

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