全国山城サミット 2012年魚津市が松倉城址に誘致を計画

富山県魚津市は2012年に市制60周年を迎えるにあたり、その記念事業として「全国山城サミット」を誘致する方針を決めた。県内でも初となるだけに、市教委も「魚津にある城を全国にPRしたい。」と話している。(2009.6.25YomiuriOnline)

1994年兵庫県和田山町(現朝来市)の竹田城を第1回とし、今年10月に滋賀県安土町の観音寺城で16回目を数える「全国山城サミット」。現在、加盟自治体は75、加盟城郭は109にものぼる。2007年には全国山城サミット連絡評議会が監修した「戦国の山城」(学研)という書籍も発売されている。

この山城サミットの目的は『山城を中心とした人々の暮らしや息づかいに想いを寄せながら、保存方法や文化的景観として、山城を生かした地域の活性化、歴史ロマンが漂うまちづくりにつながることを目指します。』(大会HPより抜粋)だそうです。

日本における山城という城の形態は城郭史の中では、戦国時代後期に城下町を伴う平城が主流になったことで衰退していったようです。それは山城が防御的軍事施設として一途に造られていたからであります。通常は山の麓の居館で生活し、有事の際には山頂に立て篭もるというのが山城の基本です。

これが戦国時代になると、常時城に待機して戦に備える必要性が出てきた事。さらには大名としての威容を見せつけるために山頂に城があったのでは意味がない、火縄銃の台頭により城郭の防御性能を発揮するために幾重にも廻らせた堀と塀が重要となり平城の方が有効になった事。家臣団を郭内に生活させるために、城自体の大規模化など。山城が衰退した理由はいくつか考えられます。

しかし、現代的な視点から見ると廃城にはなったものの、山頂に造られたことで現在でもその遺構が完全に残っているという利点もあります。こうして歴史に埋もれながらも、今でもその歴史を語り継ぐ事が充分に可能な山城に光を当て、後世に残そうというのがサミットの趣旨でありましょう。

江戸時代の一国一城令により多くが廃城となりましたが、全国では山城の歴史を持っている自治体は少なくないと思われます。「全国山城サミット」ではこうした地元の歴史や史跡を知ってもらえる場も提供出来るという面もあるわけです。

全国山城サミット、加盟城郭の紹介HPはこちらから。

戦国の山城―山城の歴史と縄張を徹底ガイド (歴史群像シリーズ)

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