伊達秀宗と邦直 伊達家の縁で愛媛宇和島市と北海道当別町が姉妹都市へ

今月5日、宮城県大崎市岩出山町で伊達家に縁のある愛媛県宇和島市と北海道当別町が姉妹都市協定の調印を行った。両市町と姉妹都市提携をすでに結んでいる大崎市が仲立ちしたという。(ソース記事:2009.7.6河北新報)

宇和島市は伊達政宗の長男秀宗が伊予宇和島藩の初代藩主であり、当別町は明治5年(1872)に一門の伊達邦直が岩出山で希望者を募り、北海道開拓に従事し現在の町の基礎を築いている。両市町とも歴史的に仙台伊達家とは深い間柄であるわけだ。

伊達秀宗はその名前からも判るよう、幼少時に豊臣秀吉の猶子として「秀」の一字を賜り、いわば伊達家の人質として大阪で育ちました。豊臣家の滅亡後、政宗は徳川家への対面もあり正室愛姫の子である次男忠宗を次期仙台藩当主に指名。宙に浮いてしまった秀宗を憚った幕府は、秀宗の大阪の役参陣の功として伊予宇和島10万石に別家を起こすことを許可したわけです。秀宗と共に伊達家家臣団が移住したことにより、宇和島では四国の中で七夕や鹿踊りなどの東北地方の民俗文化が花開いた珍しい土地でもあるのです。

慶応4年戊辰戦争の際、岩出山領主の伊達邦直は新政府軍と戦った罪により城を召し上げられ、家臣は士籍を剥奪されてしまいました。明治2年公は自らの財を持って、政府が勧めていた北海道への開拓団を岩出山での希望者で組織し、自らも共に移住を決意します。当初は内陸部空知郡への開拓を命ぜられてましたが、物資の搬送が大変だったため海岸近くへの移転を申し入れました。政府の開拓地指定も計画性のないことだったため、明治5年に当別への移転が認められることになったわけです。現在の北海道伊達市に入植し、移住開拓した亘理伊達家の邦成公は邦直公の実弟であります。

宇和島市と当別町は歴史的に直接の関わりはないのですが、互いが姉妹都市関係にある大崎市を通じての提携はまさしく伊達家が取り持った縁といえるのではないでしょうか。

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コメント

  1. ノリパ より:

    ちょっと前から拝見しております。宇和島に激しく反応しております。
    宇和島は行って見たいところなんですよ。宇和島城を見に行きたいです。

  2. Yubarimelon より:

    ノリパさん、nice!コメントありがとうございます。
    私も宇和島にはまだ行ったことがないので、ぜひ行きたいと思っています。国重要文化財指定の宇和島城址天守閣は太平洋戦争で空襲を受けながらも、当時の姿を残しているのですから一度は見ておきたいものです。

  3. Yubarimelon より:

    shinさん、c_yuhkiさん、U3さん、xml_xslさん、ノリパさん、mwainfoさん、nice!ありがとうございます。

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