上杉茂憲 米沢藩最後の藩主の甲冑を大阪高槻市で発見

大阪府高槻市市教委が今月9日、高槻市立しろあと歴史館が所蔵する甲冑が、第13代出羽米沢藩藩主上杉茂憲(1844-1919)の所有であると発表した。(2009.7.10YomiuriOnline)

甲冑を保管してある具足櫃に張られていた由緒書と山形県米沢市の上杉博物館が所蔵する上杉家「具足台帳」の記載が一致したことなどから、茂憲公のものであることが判明したという。市教委によると、茂憲公の甲冑と確認されたのはこれが初めてであるということだ。

公の父、上杉斉憲は慶応4年閏4月22日奥州白石城にて仙台藩と共に奥羽越列藩同盟の盟主に座ります。上杉家にとって会津藩は寛文年間に上杉景勝の孫綱勝が急死した際、末期養子の手続きをしていなかったことで藩が改易の危機に陥りますが、会津藩藩祖保科正之が救済の手を差し伸べてくれたという恩義があったのです。

しかし、奥羽越列藩同盟は成立したその時から足並みが揃っていなかったため、戊辰戦争奥羽戦役の衰退と共に自然崩壊するのは目に見えていました。米沢藩は同年8月28日に新政府軍に対して降伏しています。そして、茂憲公は9月18日には庄内藩討伐の先鋒を担い米沢を出発しています。

藩の命運がかかっていたとはいえ、恩義のあった会津討伐への先鋒を自ら名乗り出た公にとって、義の上杉家の面目に泥を塗る苦渋の選択であったでしょう。維新後、父斉憲公は4万石の減封と隠居を命じられたため、茂憲公が家督を相続したのです。

今回発見された茂憲公の甲冑ですが、何故大阪高槻の博物館が所蔵していたのでしょう?一番知りたい事が記事には出てないのが残念ですが、具足櫃には上杉家の紋が入っていたのに、肝心の甲冑に紋がなかったことからこれまで大名のものではないという評価だったそうです。この過小評価が高槻市で発見された理由ではないかと私は想像します。後日真相がはっきりしてくれることを期待したいと思います。

コメント

  1. Yubarimelon より:

    nice!を入れてくださった皆さん、ありがとうございます。

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