竹中半兵衛重治 若き日の秀吉を支えた軍師の430回忌法要

羽柴秀吉に仕えた軍師竹中半兵衛の430回忌法要が今月13日、病没した兵庫県三木市平井の墓前で営まれた。地元や市関係者と共に生誕地である美濃(岐阜県大野町)からも「竹中半兵衛公顕彰会」の会員ら約50人が出席し、その遺徳を偲んだ。(2009.7.14神戸新聞)

半兵衛重治は秀吉の三木城攻めの陣中にて病で亡くなりました。秀吉が再三療養を勧めたにもかかわらず、自らの死期を悟っていたたため畳の上ではなく戦場で死ぬことを希望したという。

太閤記をはじめとした秀吉の大河小説を読むと、信長の下で働いていた頃の上り坂にある秀吉に対して時にそれ以上の輝きを見せるのが竹中半兵衛です。別所長治の播磨三木城を兵糧攻めで攻略するよう進言したのも半兵衛だと云われています。

馬上槍を振う勇ましい戦国武将とは異なり、知略を持って敵に当る半兵衛には三国志の諸葛亮を彷彿させるイメージが常にあります。実際、私の中でも俗に軍師と呼ばれる武将はこの竹中重治と直江山城守の二人だけであります。

秀吉の器を早々に見抜いていた半兵衛は、志半ばではあっても彼ならば乱世を終息出来るであろうと安心して死についていけたのではないでしょうか。

コメント

  1. Yubarimelon より:

    nice!を入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

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