聚楽第行幸図屏風 上越市個人宅で昨年発見され鑑定の後公開

豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第に後陽成天皇が出向く様子を描いた屏風絵「御所参内(ごしょさんだい)・聚楽第行幸図屏風(じゅらくていぎょうこうずびょうぶ)」が上越市の個人宅で発見され、寄託を受けた上越市立総合博物館が11日、報道機関に公開した。(2009.9.12新潟日報)

聚楽第は秀吉が天正15年(1587)に京の都に完成させた城である。大阪城からここに移り、政務を執ったとされている。しかし、関白職を譲った甥の豊臣秀次の居城となった後の文禄4年(1595)に秀次を高野山に追放し切腹を命じ、聚楽第を跡形も無く破壊してしまった。城内の建物のうち現在も国宝に指定されている西本願寺の飛雲閣や大徳寺の唐門は聚楽第からの移築であると伝えられている。

今回発見された屏風は聚楽第を描いたものとしては4例目だそうです。描かれた時期は慶長年間であるということから、実物はすでに破却されていたということになります。かつての記憶を頼りにしたのか、あるいは模写したのかは現在のところ判っていません。

ただ、この屏風には聚楽第の天守閣が描かれています。以前から聚楽第には天守閣が存在したのか疑問視する意見もあるようなので、今後の調査に注目したいと思います。

現在、この『御所参内・聚楽第行幸図屏風』は新潟県上越市市立総合博物館にて10月4日まで特別公開されています。

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コメント

  1. Yubarimelon より:

    niceを入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

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