原惣右衛門元辰 吉良邸討ち入りの際に使われた脇差を発見

赤穂義士を祭る兵庫県赤穂市上仮屋赤穂大石神社は、大石内蔵助に参謀として仕えた足軽頭・原惣右衛門元辰(もととき)が討ち入りの際に使ったとされる脇差しが見つかったと発表した。(2009.11.14YOMIURI ONLINE)

原惣右衛門は赤穂四十七士の中で大石内蔵助を補佐した参謀としては吉田忠左衛門に次ぐ存在である。江戸の堀部安兵衛らが中々腰を上げない内蔵助に業を煮やし、惣右衛門を中心に決起しようとしたことさえあった急進派の中心でもあった。細川藩邸で切腹した後、その子息は広島藩浅野本家で召抱えられ原家は存続している。

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左:発見された惣右衛門の脇差し

記事にある脇差しは研究者たちの間では記録が不十分のために本物かどうかの断定はできないとしています。実際、吉良邸から泉岳寺に引き上げた義士達は幕府の取調べを受けるため武具を含めた所持品を寺に残していきましたが、住職達はそれらを売り払ってしまっています。ところが、彼らの名声が挙がるにつれ、この行為は非難を受けることとなりあわてて買い戻したという経緯がありました。買い戻した義士達の品々が、果たして本物であったかどうかもこの際疑わなければならない必要があるわけです。

ですが、今回のように記憶から忘れられるくらい永い間子孫の方々に受け継がれてきた、殊遺品に関しては真贋の鑑定も確かに大切でしょうが、それ自体はあまり意味をなさないように思えます。この脇差しは今月から大石神社宝物館で公開されるそうなので、原家に代々伝わってきた惣右衛門の遺品として観る分にはそれだけで充分な気がします。

余談にはなりますが、惣右衛門の父は米沢上杉家の浪人であったということです。仕えていたのは上杉綱勝で、公が急逝したために跡を継いだのが吉良上野介の実子である上杉綱憲だったというわけです。何だか因縁めいたものを感じますが、父の主君に繋がる家に対しての仇であっても、自らの主君への忠義を貫いた惣右衛門こそ忠臣の中の忠臣なのではと思った次第です。

コメント

  1. fuzzy より:

    小さい頃から「忠臣蔵」大好きで、オールスター東映映画や大河ドラマなど、小学生でしたが観ていました。上杉家・吉良家との因縁話面白いです。脇差の真贋はどうでもいい感じですね、本物で良いでしょう。

  2. bamboosora より:

    学校でも歴史はこういう勉強し方をすれば、もっと面白くなるのになぁ。
    年号とかを覚えるだけの授業じゃあ、つまんないですもんね。

  3. Yubarimelon より:

    fuzzyさん、コメントありがとうございます。
    私も書籍関係では一番「忠臣蔵」を数多く読んでいるようですし、関連史跡ももしかしたら一番多く見学しているかもしれません。

  4. Yubarimelon より:

    bamboosoraさん、コメントありがとうございます。
    私も教科の歴史は好きでもなく、得意でもありませんでした。 一つでも自分の心に響いた人物や出来事があれば、そこから広がりをみせていくのが歴史の魅力かもしれません。

  5. やまがたん より:

    いつもご訪問ありがとうございます
    最近忙しくてコメ&nice!が出来ず申し訳ありません
    連休などの休みの訪問となると思いますが
    これからもどうか宜しくお願いします^^
    ( ゚∀゚)o彡°☆オウエン!ガンバレ☆

  6. ノリパ より:

    年末に向けて忠臣蔵で盛り上がる時期にいいことですね。
    真贋の是非は、さておき、大切に今に伝わっているだけで、
    ホンモノの価値がありますよね。

  7. moz より:

    忠臣蔵の季節ですね。
    電車の中吊り広告でも、見かけました。 ^^

  8. Yubarimelon より:

    やまがたんさん、コメントありがとうございます。
    こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

  9. Yubarimelon より:

    ノリパさん、コメントありがとうございます。
    今の時代まで保存されていたことにも価値があるのは間違いないですね。

  10. Yubarimelon より:

    mozさん、コメントありがとうございます。
    やっぱり、年末といえば「忠臣蔵」ですね。

  11. Yubarimelon より:

    niceを入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

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