仙台城 伊達藩の酒造り発祥地を証明する木簡が出土

仙台市教育委員会は10日、同市青葉区の仙台城三の丸跡(現市立博物館)に隣接する江戸時代の御用酒屋「榧森(かやのもり)家」跡とみられる酒造屋敷跡発掘調査で、同家の六代当主にかかわる遺物や酒造りに関係する多数の遺物が発見され、調査地が酒造屋敷の一角であることが証明されたと発表した。(2009.12.11毎日jp)

2008年秋に仙台市博物館が主催した「最後の戦国武将 伊達政宗」展には政宗公直筆の多くの書状が展示されました。その中には二日酔いが原因で公務を欠席する際、家臣に腹痛(むつけ)のためと相手に断るよう指示した手紙などもあり、実は宴席好きではあるがそれほど酒に強くなかったと思われる政宗像が浮き彫りになり面白かった記憶があります。

これまで記録などから、仙台城三の丸に酒造所があったということは確認されていたが、それを裏付ける証拠は存在していなかった。記事にあるように城の中で酒造りをしていたという例は少ないようで、これは部類の酒好きとされる政宗を立証する大きな発見であるといえよう。

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『出土した榧森与左衛門と書かれた木簡(左)と五色沼』

海抜110mをこえる青葉山に建つ仙台城本丸にとって水を工面することは重要事項の一つであったと思われます。しかし、樹木に覆われた青葉山は湧水が豊富であったことと、地下水を数箇所の人口池に蓄えたことでこの問題を解決しています。特に本丸西側の谷より湧き出る水は御清水(おすず)と呼ばれ、本丸で使用する飲料水として使用されました。その余った水を深沢という堀切を通して下方の五色沼、長沼、中嶋池へと注いでいました。(中嶋池は現在埋め立てられていますが、長沼と五色沼は青葉公園内に残っています。全くの余談ですが、この五色沼は日本のフィギュアスケート発祥の地でもあるということです。)

深沢の水は堀切を流れるだけでなく浸透し、地下水として片倉家をはじめとする一族重臣達の屋敷の飲料水に使用され、三の丸にあった榧森御酒屋が御用酒をつくるためにも利用したというわけです。(三の丸南西側の御門は新鮮できれいな湧水が出るこの場所にちなんで、清水門と名づけられていました。)記事中にもありますが、榧森氏は大和の柏森(かやのもり)の出であったため、その名にちなんで榧森姓を賜ったとのことです。

当時作られていたお酒は「夏氷酒、伊仁酒(イニシュ)、南蛮酒、忍冬酒、桑酒、延齢固本酒(エンメイコホンシュ)、葡萄酒、枇杷酒、泡盛酒、味醂酒、みかん酒、砂糖泡盛酒、菊酒、楊梅(ヤマモモ)酒、覆盆子(イチゴ)酒、みぞれ酒、しそ酒、焼酎本なほし、梅酒、榧酒、疝気薬酒、白梅酒、龍眼酒、白酒、豆琳酒、甘露酒、当座玉子酒」(『仙台物産沿革』より)とあるように多種にわたる酒造りをしていたことが判ります。葡萄酒、つまりワインまで作らせていたんですね。

榧森氏は幕末十三代まで続きますが、その間仙台藩は榧森氏の推薦で大和の岩井氏とその分家の安積氏にも醸造を始めさせています。また、安政年間(1854-1859)に伊澤氏が新たに「御軍用御酒屋」となっています。現在、仙台市を代表する醸造企業の勝山酒造はこの伊澤氏の創業であり、伊達家が御用酒屋に指名した銘の中では唯一残っているものであります。

嬉しいことに全日空では来年2月より、この勝山の3銘柄(純米大吟醸勝山『暁』『元』『献』)を国際線で提供するそうです。(『暁』は有料ですが、『元』と『献』は無料で飲めるということ。)空の上で、御用酒を傾けながら伊達家の歴史に想いを寄せるというのもいいかもしれません。

コメント

  1. fuzzy より:

    武将の酒好きの話は多いですね、城内で酒造りまでしていたなんて本当に酒好きなのですね。我が家の猫の右目が怪我で何時も閉じられています、今その猫を「政宗」と呼んでいます。

  2. Yubarimelon より:

    fuzzyさん、コメントありがとうございます。
    片目といえば伊達政宗が連想されます。猫の怪我が早く治ると良いですね。

  3. Yubarimelon より:

    nice!を入れていただいた皆さん、ありがとうございます。
    良い年をお迎え下さい。

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