エルトゥールル号遭難事件 日本とトルコの友好の出発点となった沈没船より遺品を引揚げ

和歌山県串本町沖で1890年に遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遺品引き揚げ調査で、金貨と銀貨が1枚ずつ見つかり、調査団が25日、発表した。(2010.1.25YOMIURI ONLINE)

明治23年9月16日に和歌山県紀伊大島の樫野埼東方海上でオスマン帝国のフリゲート艦エルトゥールル号が台風による強風で座礁、沈没した。オスマン海軍の練習航海を兼ねた来航から母国への帰還する途中でのことだった。この事件により司令官オスマン・パシャをはじめ乗組員587名が死亡。一方、自力で陸地に泳ぎ着いた生存者達は大島村(現串本町樫野)の住人に手厚く介抱され、また日本政府の援助の下でイスタンブールに帰国している。

この事件がオスマン帝国内で新聞報道され、大島村での救助活動と明治政府の援助を知ったトルコの人々は日本に好意を抱き、その後の友好関係の出発点となったということだ。

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遭難現場近くの海底より引き上げられた金貨と銀貨 下は和歌山県串本町に建立されたエルトゥールル号遭難慰霊碑

エルトゥールル号遭難事件が日土両国友好の出発点であったことは間違いないと思われます。記事にある遺品の引揚げ調査は2007年からトルコを中心とした数ヶ国の調査団により実施されていたものだそうです。日本人はこの事件のことを忘れている、あるいは知らない人が多いのに対して、トルコ人は歴史教科書に取り上げているので子供から大人まで誰でも知っていると伝えられています。

記憶に新しいのが1985年のイラン・イラク戦争において、イラクがイラン領内を飛行する航空機に対しての無差別攻撃を宣言した時のこと。当時、イラン国内に在留していた日本人に対して自衛隊を海外へ派遣することは出来ませんでしたし、民間の航空会社も救援に行けないという状況でした。各国は自国の航空機で救援に駆けつけていたたため、飛行場に残された日本人はパニック状態であったとのこと。そこで在イラン日本大使がトルコ大使に救援を要請、トルコ本国の航空機2機を派遣し日本人全員を帰国させたという出来事がありました。この時トルコ大使はエルトゥールル号の件を引用し恩返し出来たとコメントしたという。

このエピソードはインターネットをはじめとした電子メディアでひろく紹介されるようになり、逆に日本人が日土友好の出発点であるエルトゥールル号遭難事件の歴史を知ることとなりました。しかし、NHKがイ・イ戦争の特番を組む際に当事者達の取材から、次のような事実が判明しました。日本側の要請にトルコ本国の航空機を派遣してくれたトルコ大使はエルトゥールル号遭難については全く知らなかった。また、トルコの学校ではエルトゥールル号事件に関しての授業は行っていない、教科書にも記述はないとのことでした。

話が流布されていくうちに尾ひれがつき、やがて日本とトルコの友好関係とエルトゥールル号遭難事件が結びついてしまったのは十分想像出来ます。戦争の最中の美談が少々事実と異なって伝わってしまったようですが、それ以上に1890年の遭難事件がきっかけで両国の友好関係が始まったという事実のほうが大いに意味があると思います。なぜなら、紀伊大島に建立されたエルトゥールル号遭難慰霊碑の下では、5年毎に串本町とトルコ大使館の共催で慰霊祭を行っているそうです。それは一つの歴史を未来に向けて大切にしてゆくことが、東西に離れた二つの国を結び付けている関係も続くことを証明しているからです。このblogを書きながら、歴史を学ぶことの大切さをあらためて感じました。

なお、記事にあるエルトゥールル号の調査団は最終的に船体の引き上げを目標にしているそうです。しかし、残念ながら現時点ではまだ船体は未確認とのこと。今後の調査に期待したいと思います。

コメント

  1. fuzzy より:

    湾岸戦争時のトルコの対応の話ですね、トルコ政府が旧恩をしっかり覚えていて恩を返す本当に嬉しい話でした。

  2. Yubarimelon より:

    fuzzyさん、コメントありがとうございます。
    アジアの東西両端の国が友好関係にあるというのは嬉しいですね。

  3. Yubarimelon より:

    niceを入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

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