南会津の戦い 若松城陥落後の会津戦争を描いた屏風が富山で発見される

戊辰戦争(1868~69)で、南会津地方が舞台となった「南会津の戦い」が描かれた屏風絵三双が27日までに富山市内で確認された。新政府軍として参戦した富山藩隊の隊長の子孫が所有していた。(2010.5.28福島民報)

明治元年9月22日巳の刻(午前10時)、会津若松城北追手門に「降参」と書かれた白旗3本が掲げられた。籠城1ヶ月、城内には白木綿が枯渇していたため、土佐藩より譲られたものだったという。その後、松平容保、喜徳両公が麻裃姿で降伏の式に参列した。この式典の最中、情報伝達に城から最低3日は掛かる南会津では激しい戦闘が行われていた。

北越戦争の敗残兵を追って、長岡から会津領内に通じる叶津口(八十里峠)、田子倉口(六十里峠)を新政府軍が越えてきたのは9月2日です。(負傷した河井継之助が峠を越えたのは8月4日)叶津に陣を構えた薩長軍は橋頭堡を築き、ここで隊を三つに分け会津城下へ進軍しています。只見川の支流である伊南川沿い(現国道289号線)を進んだのが高遠、飯山、越前、富山藩の各隊でした。

一方、それを迎え撃ったのは会津藩御蔵入奉行河原田治部信盛が組織した郷兵隊(河原田精神隊)です。郷兵隊とは、その名の通り会津藩士ではなく南会津伊南地区で集められた農民兵の部隊です。といってもただの農兵ではなく、もともと河原田氏は先祖代々この地区の豪族でしたので、農民達は土着した家臣団の子孫だったのです。会津藩の中では珍しく藩士(旧領主)と農民の精神的なつながりが深かった地区であり、南会津が天領であったこともあって藩のためというよりは自らの土地を守るための戦いという意味合いが強く、非常に士気も旺盛であったようです。(注1)

河原田治部は鳥羽伏見の戦いが行われていた当時は蝦夷に赴任していました。にもかかわらず、敗戦の報を聞くや勝手に会津に戻り、容保公に伊南地区で部隊を組織する許可を得てしまったというのです。そして、部隊編成後の7月に神奈川伝習隊隊士の大木鈴太郎、中川七之助の助力の下、農兵達に砲術、進退、駈引等の訓練を行っています。

実際の南会津の戦いは9月20日に伊南川沿いを進んできた高遠・飯山藩兵に対して開始されました。(この翌日若松城下では砲火は止んでいた)新政府軍は斥侯を出してはいましたが、郷兵隊の存在に気づいていなかったようです。数百名が攻めてきて驚愕したとされているので、どこか油断した気分だったに違いありません。特に郷兵隊がその標的としたのは高遠藩兵でした。高遠藩は会津藩祖保科正之の出身藩でもあったのです。それが西軍側に付いているのが許せなかったのでしょう。その怒りは郷兵隊を志願する農民を数千名に上る大部隊としてしまったというのです。

地元只見町に残る町史には郷兵隊の強さは会津正規軍に見劣りしないものだったと伝えられています。それを証明するように勢いを得た郷兵隊は叶津の本陣まで攻め込み留守部隊の弾薬、食料などを奪いながら、戦闘中止令が届いた9月25日頃まで戦闘を続けました。

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『発見された屏風 手前に描かれている伊南川(?)と山間の会津藩と仙台藩に攻撃する新政府軍が確認できる』

今回発見された屏風は山間から攻撃する会津・仙台藩兵に対して飯山藩兵を救援する富山・加賀藩兵が描かれているとあります。もともと、この南会津の戦いの史料、特に富山藩が戦ったとする記録は少ないそうなのですが、私自身もそれを目にしてはいません。そのため、「入小屋の戦い」「木伏の戦い」「滝原の戦い」の詳細に関しては判りませんでした。

富山藩は戊辰の役に際して、4小隊を出動させています。藩によって人数はまちまちですが、1個小隊はおおよそ30~50人でしたので200人前後の規模であったでしょう。そのことからも、富山藩が単独で戦ったとは思えませんが、地名から判断して河原田治部が率いた郷兵隊との間で戦われた戦闘だったことは間違いないようです。

屏風に関しては、9月15日に降伏したはずの仙台藩兵が描かれているなど、研究の余地もありそうです。史実としては郷兵隊に散々苦しめられたであろう富山藩ですが、後世に残す屏風の中では勇ましく戦う自軍の姿を描きたかったのではないかと想像してしまいます。

*注1 郷兵隊のことを農兵隊と記述する史料もあります。南会津の地区によって呼称を変えていたようです。記事では河原田精神隊について郷兵隊と呼名を一つにしてあります。

コメント

  1. sig より:

    こんにちは。
    会津降伏の報が伝わるまでの3日間に亡くなった人も多かったでしょうね。
    高遠藩に向けられた郷兵隊の心境、分かるような気がします。

  2. Yubarimelon より:

    sigさん、コメントありがとうございます。
    高遠藩兵もお家の事情で西軍に与さなければならなかったのだろうと想像します。しかも、郷兵隊にはこてんぱんに叩かれて悲惨としか云いようがありません。

  3. Yubarimelon より:

    niceを入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

  4. sig より:

    ご無沙汰しています。
    私のブログが1ギガのキャパに迫りましたので、それでおしまいのつもりなのですが、あと20メガの残りを埋めるために間宮林蔵の掲載を始めました。映画の企画書という形式で、物語は梗概として示すに過ぎませんが、数回の連載にしましたので、ご教示いただければ幸いです。

  5. Yubarimelon より:

    sigさん、コメントありがとうございます。
    私にはとても教授するようなことは出来ませんので、最後まで読ませていただき感想はぜひ書かせていただこうと思います。

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