千葉さな 龍馬七回忌後に婚姻していた史料を発見

坂本龍馬の婚約者で生涯独身を貫いたとされる千葉さな(1838-96)が、龍馬の暗殺後、元鳥取藩士と結婚していたとする明治時代の新聞記事が、3日までに見つかった。(2010.7.3毎日jp)

明治9年(1876)桶町千葉道場は近隣に発生した火災により焼失。父定吉は重太郎の養子である千葉一胤宅へ移り、さなはそれ以前から姉里幾のいる横浜に身を寄せたという。明治15年9月に華族女学校の舎監に就任しているので、彼女が婚姻したという記録が事実であるならその間の出来事であったはずだ。

定吉が明治12年12月5日に亡くなった後、さなは重太郎が京都府御用掛に出仕した事に伴い一緒に京へ移っています。その時期は定かでないようですが、明治15年1月頃だったということです。つまり、山口菊次郎との婚姻に反対していた重太郎を踏まえると、結婚期間は実質7年くらいだったのではないでしょうか。

さなが明治26年に発行された雑誌のインタビューの中では婚姻について話さなかったのは、それが決して幸せな生活でなかったことが伺え、彼女の人間らしさが感じられます。かつて鬼小町と謳われた華やかなりし千葉道場もなく、家族も離れ離れとなればせめて人並みの生活を送ろうと兄の反対を押し切って結婚したものの上手いかなかった。晩年人に自分の思い出を語るとなれば、やはり人生の美しかった瞬間を切り取った箇所だけというのは自然な気がします。

龍馬への貞節を生涯貫いたとされてきたさなですが、事実はそうではなかった。しかし、私は今回の新発見で一層彼女のことが好きになりました。手紙や記録からさなが何事にも万能で、文武両道であったという姿は彼女の全てではなく一部だけであったのですから。孤独に耐えかね、自らの恥ずかしい部分には蓋をする。普通の人間なら誰でも持ち合わせているものを彼女も同じように持っていた。例え歴史上の人物であっても、それが彼女との距離をずっと近づけ、とても身近に感じることが出来るようになったのです。単なる歴史好きにとって、これ程嬉しいことはないと思えます。

余談にはなりますが、現在放映中の大河ドラマ「龍馬伝」に関しては千葉さなはあくまで生涯独身で通したという設定に変更はないとの事です。

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コメント

  1. みみ より:

    はじめまして。
    本当に・・・佐那に関して、そのまま鵜呑みにする人が多すぎます。
    彼女には「知られざる顔」があるのに、研究者も愛好家も無視していて、正直、悲しくなります。
    千葉家の末裔の方々が証言されているのに・・・

  2. まる より:

    隠していた(語らなかった)ということはやはり
    おっしゃる通り、さなさんにとってあんまり良い
    結婚生活ではなかったんでしょうかね~
    彼女の子孫はこの結婚で生まれたのでしょうか。気になります。

  3. Yubarimelon より:

    みみさん、コメントありがとうございます。
    定説というのは一人歩きしやすいものだと思います。今回のようなニュースになる新しい発見があれば、それによって少しづつ真実に近づいていくのではないでしょうか。
    千葉さなの素顔も、いずれは多くの人が理解する日が来てくれることを祈っています。

  4. Yubarimelon より:

    まるさん、コメントありがとうございます。
    千葉さなは妹幾久の子勇太郎を養子にしています。ですが、わずか3年で病没してしまいましたので、晩年はさぞ寂しかったのではないでしょうか。

  5. みみ より:

    そういうことではありません。
    佐那に関する今回のニュースを、そのまま受け止めては危険だという事です。
    私は、ある本で佐那及び北辰一刀流の「裏の歴史」を知りましたので、佐那の事を「悲劇の女性」と見ておりません。
    ですが、これ以上書くと論争に発展してしまう恐れがありますので、これで最後の書き込みとさせていただきます。

  6. Yubarimelon より:

    みみさん、コメントを取り違えてしまい申し訳ありませんでした。
    私は自分の知りえる範囲でblogを書いているので、全てにおいて正確な事実のみを記しているとは決して思っていません。ですので、間違えている事を書いていたなら、ぜひ具体的な例を示してご教授をお願いしたいと思います。

  7. みみ より:

    Yubarimelonさま
    私の方こそ、感情的なコメントをしてしまい、申し訳ございませんでした。
    ただ、資料が見つかり、相手の所在も確認できたからといって、歴史を決めつけるのは、まだ早いと思うのです。
    ある作家の方が新聞のコラムでこう述べていました。
    「学者及び研究家は実証主義を尊重するあまり大胆な推理ができない」と・・・私もそう思います。
    佐那に関しては、北辰一刀流も含めた「秘められた歴史」があり、千葉周作を支援した一族の末裔の方が証言されているのですから、「悲劇」ばかりに執着せずに、もう少し研究の視野を広げるべきではと思うのです。大胆な推理があってもいいのではないしょうか。
    その「秘められた歴史」についてですが、いろいろありすぎて、ここでは書ききれないかもしれません・・・
    メールが送れたらいいのですが・・・

  8. みみ より:

    Yubarimelonさま
    上記のコメントに対するお返事は・・・

  9. Yubarimelon より:

    nice、コメントをいただいた皆さん、ありがとうございました。

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