ヘンリー8世 1534年ローマ・カトリック離脱以来の法王公式訪英

ローマ法王ベネディクト16世は16日から4日間の日程で英国を公式訪問する。16世紀に英国王ヘンリー8世が離婚問題でバチカンと決別し、英国国教会が設立されて以来、法王の英国公式訪問は初めて。(2010.9.10毎日jp)

the Defender of the Faith(信仰の擁護者)、伝統的なイングランド国王のこの称号を1521年に初めてローマ教会より与えられたのが、ヘンリー8世である。その名の通り、王は本来カトリック教会の保護に非常に力を入れ、自身も熱心な信者であった。しかし、王妃キャサリンとの離婚を教皇クレメンス7世に否定されたことで、バチカンとの断絶を決意した。

もともと、ローマ教会では信仰上の理由から離婚自体は認めなかったものの、中世の王侯貴族に対しては結婚そのものがなかった、すなわち「婚姻の無効」という抜け道で認可してきた。だが、王妃の甥であり神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王も兼ねていた)の反対から国際問題への発展を危惧した教皇により、離婚の認可は出されなかった。

2.jpg

『ヘンリー8世と教皇クレメンス7世』

シェイクスピア最後の史劇「ヘンリー八世」や映画「わが命つきるとも」などで知られるイングランド王ヘンリー8世と王妃エリザベスの離婚問題。これは後に英国国教会の誕生と国王が教会の首長として君臨することとなる国王至上法の成立へと発展しました。

壮麗な王宮史劇とその生涯に六人の王妃を迎え、うち二人を断頭台に送ったことで、現実離れした権力と慢心さのイメージが付きまとうヘンリー8世ですが、その反面英国王室史上最高の知識人であり、芸術家でもあったと云われています。次男ゆえに世継としての責任を負うこともなく、望むままに生きることが自分の人生であると幼い頃から自覚していたのは間違いないところでしょう。「率直王」とも云われる王の6度の結婚も、4度目の妃アン・オブ・クレーヴズ以外は自身が見初めた恋愛結婚だったというのも理解できます。(1)

近年、エリザベス女王のバチカン訪問や前法王の非公式訪英など、英国国教会とローマ・カトリックは接近を進めていましたが、法王の公式訪問は初とのこと。私がこの記事を読んで何より思ったのは、歴史という大河の中では、国家間の激しい対立や離別も一時的な急流か淀みに過ぎないものなのだということです。もちろん、時間というのが全てを解決してくれるとは言いません。しかし、現在も世界各地で起こっている紛争や摩擦も、後世の歴史家達から見れば、小さな淀みであったと解釈されることを期待せずにはいられません。

20100917k0000e030043000p_size5.jpg

『エリザベス女王と訪英した法王ベネディクト16世』

(1)ヘンリー8世は肖像画に描かれたアン・オブ・クレーヴズと本人が余りにかけ離れていたことに激怒し、二度と会おうとしなかった。イングランドの孤立を避けるため、ヨハン3世の娘アンを推挙した大臣トマス・クロムウェルは、この失態が原因で失脚、処刑された。だが、画を描いたハンス・ホルバインは処罰を免れた。王は芸術というものが、生まれや努力だけでは極めることが出来ないこと、人の心に共鳴する素晴らしさを理解していたので、決して高名な芸術家を処刑することはなかったという。

コメント

  1. palette より:

    肖像画もすごく嫌な感じだし、ヘンリー8世には冷酷な権力者という印象しかありませんでした。でも、芸術に理解があったというのは、意外なお話しでした。
    >現在も世界各地で起こっている紛争や摩擦も、後世の歴史家達から見れば、小さな淀みであったと解釈されることを期待せずにはいられません。
    心にしみました。本当に、そうであって欲しいですね。

  2. Yubarimelon より:

    paletteさん、コメントをありがとうございます。
    現在の問題を後世に先送りしたような文章になってしまいましたが、この時代の努力で解決できることこそ一番なのだと思います。

  3. shige より:

    こんばんは^^

  4. Yubarimelon より:

    shigeさん、こんにちは。
    いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

  5. Yubarimelon より:

    niceを入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

error: Content is protected !!