亀山本徳寺 西本願寺より移築された新選組屯所が本堂として現存

まちづくりなどに取り組む姫路市のNPO法人「コムサロン21」が、世界遺産・姫路城を訪れる観光客に江戸時代の城下町にタイムスリップしたような雰囲気を楽しんでもらおうと、市民が和服姿でJR姫路駅周辺を歩くイベント「和服deひめじ」を31日と11月3、7日に行う。(2010.10.28YomiuriOnline)

「平成の大修理」を行っている姫路城の観光客減に歯止めを掛けるため、幕末の志士や新選組隊士に扮したNPOのメンバーがイベントをPRしている。確かに播州出身の新選組隊士は数名いる。姫路出は平山五郎と鈴木練三郎など、服部武雄、河合耆三郎、松原忠司らも播州の出である。また、斎藤一は生まれは江戸だが、明石藩脱藩を自称している。しかし、歴史的には姫路市と新選組との大きな関わりはなかったといってよい。

記事中にある縁があるという亀山本徳寺は、その本堂が明治六年に京の西本願寺北集会所(きたしゅえしょ)を移築したものだ。この北集会所は元治二年(1865)三月から慶応三年(1867)六月まで新選組が屯所として使用していた建物である。亀山本徳寺に北集会所が移築された際、それらの部材の加工を最小限に止めたので、現存する本堂は新選組が使用していた当時のままの遺構といえる。そのため、堂内の柱の一本には隊士がつけたと思われる刀痕が残っているほどだ。

この亀山本徳寺への移築に関しては、新選組ファンの間だけでなく、一般に広く知られているようです。というのも、平成16年に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」のロケ地として同寺が一部使用され、知名度が上がったからです。御堂の中には、新選組屯所として使用されていた建物だったという案内板も置かれています。

元治元年七月十九日の禁門の変以降、長州藩士を匿った西本願寺を探索していた新選組は、壬生村の屯所が手狭になった事と寺を監視する目的で、会津藩を仲介に北集会所へ強引に屯所を移転しました。二十世広如上人は本堂前で行われる新選組の砲術訓練に震え上がったそうです。また、隊士達が猪肉の煮込を調理する臭いが門主の居間に流れてきて、大層悩まされたともいわれています。結局、上人は渋々一万両を支払い、新選組に立ち退いてもらっています。

新選組が伏見奉行所へ移るまでの半年間を屯所としていたのが、西本願寺から移った不動堂村の屯所であります。期間が短かったので史料もなく、当時を知る証言の曖昧さもあって、長らく不動堂屯所の正確な位置を確定することが出来ませんでした。現在も確定したというわけではありませんが、おおよその位置は西本願寺から堀川通りを南に下った北不動堂町辺りなのではとされています。新選組が立退いた後、不動堂屯所も解体され、亀山本徳寺の表書院として移築されたと伝わっています。ですが、寺の伝来では建築の来歴は不明とされています。

亀山本徳寺は西本願寺の末寺であり、広如上人の息女が同寺に嫁いでいます。このことが北集会所を移築する切欠の一つになったのは間違いないはずなのです。不動堂屯所のあった場所も西本願寺の所有地らしいので、後は表書院の来歴史料が発見されることを祈るばかりです。

コメント

  1. J より:

    最近、親の入院でお城傍の病院へよく訪れます。
    その病院からは修理中のお城がよく眺めることができます。
    今ではお城も鉄骨の櫓に囲われてしまい、その美観もしばらくはお預けです。
    パッと見れば、それは大きなマンション建築工事のようで、
    あれがマンションだったら凄いね、と子供に言うと、
    「まさに一国一城の主だね」

  2. Yubarimelon より:

    Jさん、コメントありがとうございます。
    ご両親が早く退院できるようになると良いですね。

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