伊達綱村 仙台藩四代藩主以降の墓所 大年寺跡地を市が取得

仙台市は、伊達家の霊廟(れいびょう)として栄えた旧大年寺(太白区)の敷地の一部を取得することを決めた。周辺の公園と一体的に整備し、自然豊かな憩いの場を提供する。市は「青葉区の仙台城跡や瑞鳳殿に次ぐ伊達家ゆかりの人気スポットとしてPRしていきたい」と話している。(2011.02.08河北新報)

仙台藩第四代藩主綱村公の治世は、産業開発、文化奨励という面から見れば藩の黄金時代を築いたといえる。その中でも、黄檗(おうばく)禅宗に帰依した公が元禄十年(1697年)茂ヶ崎城跡(現仙台市太白区茂ヶ崎)に開基した両足山大年寺の七堂伽藍は、京都山城の本山萬福寺を擬し、壮麗を極めたという。また、その地は以降の歴代藩主廟所にもなった。

藩祖政宗公から三代綱宗公までは、瑞鳳殿に代表される青葉山経ヶ峰に死後霊廟が建立されたが、綱村公の遺訓先規に従い毎世廟を建てなば後世子孫何を以て保たん、我死せば墓石を建て、瓦葺の屋根を覆うまでにすべしに従い、以降の藩主に御霊屋は建てられなかった。大年寺は、明治の廃仏毀釈にともない伊達家が仏式から神式になったため、その庇護を失い荒廃した。現在の寺は昭和になり再興されたものである。

仙台市の花であるミヤギノハギをはじめ、ハギを中心とした花々が鑑賞できる野草園の「萩まつり」は、秋の花見として市民にとても愛されている行事の一つです。この野草園の東側に広がるのが伊達家代々の廟所のある大年寺跡地であります。元々、大年寺山を伊達家が手放した後、国がそこに少年院を建設する予定でしたが、市民の反対運動が起き、市が買取ることとなりました。それ故に現在まで、貴重な森林が手付かずのまま残されることになったという経緯があります。綱村公の無尽灯廟をはじめ代々の墓所は一般に公開はされていませんが、市が周辺の整備をすることになれば、これまであまり注目されなかった伊達家の歴史にも多くの人が関心を寄せることになるはずです。

さて、綱村公は幼名亀千代丸といい、二歳の時に父であり三代藩主綱宗公が幕府より逼塞を命じられ、急遽四代藩主に就任することとなりました。綱村公の親政が可能となるまでの約十五年間、伊達家家中は寛文事件をはじめ、大いなる混乱を生じたことは以前にも書いたことです。公は前述の通り、儒学の奨励、神社寺院の造営に多大な貢献を行っています。遊佐木斎、田辺希賢ら有名な学者を招聘し、仙台藩正史である「伊達治家記録」編纂を開始し、源義経の衣川館跡に義経堂建立などはほんの一例であります。またその反面、多くの借財も残し、藩の財政を悪化させるという負の遺産も残してしまいました。

伊達家の墓所が一般公開されていないこともあり、普段から閑静な場所である大年寺跡地ですが、国道286号沿いから急峻な石段の参道を登るだけでなく、野草園からも足を伸ばせば散策可能となっています。特に頂上付近からの景観は素晴らしく、仙台平野を通して太平洋まで見渡すことが出来ます。元禄十年、綱村公は大年寺を参拝した際、山門を通した景色の彼方に、陽に反射した輝く水が見えたので、その地を「ゆりあげ」と名づけたということです。広瀬川が名取川に合流し、海に注ぐ河口の港町閖上の「閖」の一文字は、この時に生まれたものなのです。

コメント

  1. Yubarimelon より:

    niceを入れていただいた皆さん、ありがとうございます。

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