田原坂 日本内戦史上最大の激戦地で想いを馳せる

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田原坂ノ北タルヤ。外昴ク内低ク、恰モ凹字形ヲ成シ、坂勢峻急、加ウルニ一陟一降ノ曲折ヲ以テシ、茂樹灌木之ヲ蔽ヒ鬱蒼トシテ昼暗ク、洵ニ天険ト為ス」 参謀本部編纂『征西戦記稿』より

高瀬会戦

明治十年(1877年)ニ月ニ十五日から高瀬(現熊本県玉名市高瀬)において、薩摩軍と征伐軍が菊池川を挟んで三度の激戦を繰り広げた。西南戦争中、両軍主力が積極果敢に攻勢に出た最初で最後の野戦、いわゆる高瀬会戦である。数に劣る薩軍であったが、それを上まわる士気で一進一退の攻防を演じたものの、幾つかの不幸な出来事により撤退を余儀なくされた。(1)

薩軍に時間を与える

高瀬での戦闘後、征伐軍は兵力を集中させるために数日を使った。その間、薩軍にも北は味取山から田原、吉次を越え有明海に至る強力な南北の防衛線を構築する時間を与えてしまっている。征伐軍主力は当時大砲を移動出来る唯一の田原坂を進み、支隊は吉次峠を、三月四日より本格的な攻撃を開始した。この方面での戦闘は薩軍が防御線を解く四月十五日まで、両軍合わせて4000名以上の死傷者を出してしまい、中でもわずか80m高低の丘陵地田原坂は日本戦史史上最大の激戦地となってしまった。

史蹟・田原坂

先日、3年越しの念願であった熊本・鹿児島への旅行に行って来ました。今年は東北大震災があり、家族も被災したのに物見遊山に出かけるなど不謹慎かとも思いましたが、その一方で、人の時間は決して永遠のものではないこともあらためて知らされました。巡ってきた機会を最初で最後と思い、初めての九州へ出向いた次第です。

今回の旅行の主目的は西南戦争と宮本武蔵の史跡見学です。限られた時間の中でしたので、希望する全ての場所を周ることは叶いませんでしたが、それでも、以前から一生に一度は行きたいと思っていた箇所には行くことが出来ました。中でも、この田原坂は自分の目で見、足で立つべきと考えていた古戦場であります。

田原坂は熊本空港から車で約30分くらいの場所にあります。この行き方は歴史的には、官軍が進攻した高瀬からは逆方向になります。途中、乃木大将の碑や七本官軍墓地などもありますが、場所を確認するだけに留めました。頂上近くにある田原坂資料館では、貴重な遺品や史料の数々を見学することが出来ます。事前に予約を入れておけば、館内を無料で案内していただけます。

展示史料中、特に目を引いたのが空中で両軍の銃弾が打つかって出来た「行きあい弾」であります。官軍が田原坂の戦闘で消費した弾薬は1日平均32万発で、多い時には60万発にも上ったそうです。これは、日露戦争での第二次旅順攻撃で消費された弾薬が30万発であったことを考えれば、このはるかに小さな戦場で、如何に凄まじい銃撃戦が展開されたかが想像でき、身震いする想いです。当時の国内の弾丸製造能力は一日十二万発程度だったので、政府は急遽銃弾と共に製造機も輸入せざるを得ませんでした。一方、薩軍は弾薬に関して悲惨な状況でした。元々、鹿児島を出陣した時から兵站や補給線を二の次にしてきてしまったため、戦役を通して弾不足に悩ませれています。そのため、前線で鍋釜の金属を溶かして自前で製造したり、現地人に官軍の弾を拾いに行かせたなどの逸話が残っているほどです。

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『田原坂資料館から二股台地、吉次峠方面を望む。戦時下では砲弾により山肌が露出してしまったそうだが、現在はミカン畑が斜面いっぱいに広がっていた。明治10年3月7日官軍は田原、吉次への正面攻撃を断念、攻略に成功した二股台地からの側面攻撃に作戦を変更した。』

往時の景観が今も残る

資料館から頂上の方へ歩いてゆくと、戦死者の慰霊塔や征討総督有栖川宮親王の崇烈碑、美少年の像がある田原坂公園に出ることが出来ます。今年の九州地方は暖かく、12月だというのに紅葉が見頃でしたし、山の斜面には鮮やかな色をしたミカンがたくさん生っています。かつて、ここが薩軍と官軍が壮絶な戦いを繰り広げた戦場であったことなど嘘のように、のどかな景色がひろがっていました。

公園自体は、売店が一つだけのとても質素な佇まいです。頂上から玉名方面への道路、いわゆる田原坂一の坂、ニの坂、三の坂は大変道幅が狭く、車ですれ違う時には危ないと感じるでしょう。それは、当時の景色を、今も出来るだけそのままにしておこうという意図もあるのではと思いました。比較すべきことではありませんが、この後、熊本市内と熊本城も見学しましたところ、観光客にとてもやさしい街造りが出来ていて、大変感心しました。特に、駅と観光地、繁華街を結ぶ交通が安価で充実しているところなどは、全国の観光収入を期待する自治体にとって参考にすべき点ではないでしょうか。

しかし、この田原坂の史跡に関しては、観光客の利便性も大切ではありますが、個人的にはこのままであってほしいと感じました。これ以上手を加える必要は全くないように思いました。この地に見学に来る多くの人は、おそらく私と同じように、当時のこの地の空気のようなものを感じるために訪れているのではと考えます。それゆえ、資料館でいただける古戦場の地図を頼りに二股台地や堡塁や胸壁のあった地点を望みますと、自らの大義を信じて戦った両軍の兵士達の喊声が聞こえてくるようでした。この地で散った戦士たちの魂よ、安らかに。

田原坂、訪れて本当に良かったです。何が良かったというと、史跡や史料を直にみれたことももちろんですが、何より自分が考えていた古戦場のイメージや歴史への想いを、現地にシンクロさせることが出来たというところではないでしょうか。もっとも、それこそ歴史散策の一番の楽しみ方であることは云うまでもありませんけど。

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『道路は舗装されたが、当時の面影を色濃く残している田原坂三の坂付近。今も軽自動車がすれ違える程の道幅しかない。』

(1)ニ月ニ十七日、第三次高瀬会戦において、菊池川と繁根木川間にある丘陵稲荷山を、桐野利秋隊の数が少なかったため征伐軍に先に押さえられた事と、中央を受持っていた篠原国幹隊が弾薬が尽きたことを理由に無断で撤退してしまったなど。

*以下の記事に新たに写真、コメントを追加しました。

宝暦治水事件 美濃の人々に受け継がれた薩摩藩士達の尊い犠牲 [史実] (2011.5.15)

西郷隆盛 官軍医の日誌より辞世の漢詩が発見される [Topics](2009.9.19)

篤姫の銅像を地元鹿児島市が建立へ [Topics](2009.8.19)

田原坂・吉次峠 西南戦争の古戦場を国史跡へ  [古戦場](2009.6.6)

宮本武蔵 剣豪の命日を前に遺徳を偲ぶ [人物](2009.5.18)

敬天愛人 [人物](2008.7.15)

*2011年の記事の公開はこれが最後となります。一年間、多くの方にご訪問いただきとても感謝しています。本当に大変な一年でありました。皆様にとって来年こそ笑顔の年になりますよう願っています。 Yubarimelon

コメント

  1. okin-02 より:

    こんにちは
    訪問 nice!有難う御座います。
    我が亡き・母親の田舎も熊本県でしたが・・・良い所ですよね(^0^)。

  2. Yubarimelon より:

    okin-02さん、コメントありがとうございます。一部しか見てませんが、熊本はとても良い所でした。美味しかった名産のからし蓮根をお土産に買いました。

  3. bamboosora より:

    ご無沙汰してます。
    遅ればせながら、新年のご挨拶を。
    あけましておめでとうございます。
    あまりマメなブロガーではありませんが、
    今年もよろしくお願いいたします。

  4. Yubarimelon より:

    bamboosoraさん、コメントありがとうございます。
    本年もよろしくお願いします。

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