後藤貞行と金華山号

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金華山号を祀る主馬神社

コケシで有名な宮城県大崎市鳴子温泉から北の鬼首へ向かう山中に、荒雄川神社という小さな社があります。御祭神は大物忌命と他五柱で、社伝によると創祀された年代は不明であるが、明治五年に現在の地に遷座するまでは荒雄岳山頂に鎮座していたという。荒雄川の水源を司る神として、穀倉地帯大崎地方一円の人々の水神様として、又、五穀豊穣の神として信仰され、氏子崇敬者からは諸願成就・当病平癒・家内安全・商売繁盛・地域産業隆盛の神として崇め奉られています。

この神社の境内社に、明治天皇の御料馬であった金華山号を御祭神とする主馬神社があります。金華山号は明治九年の奥羽地方御巡幸の際に天皇の目に止まり、以後明治二十八年六月に二十七才で死亡するまで天皇の側近くに御仕えした。

明治三十四年、生まれ故郷の鬼首に等身大木像が主馬神社に奉祀された。この木像は皇居前の楠木正成像の騎馬や上野の西郷隆盛像の愛犬ツンを制作した後藤貞行の手によるものだ。毎年九月九、十日の荒雄川神社大祭の二日間のみこの木像はご開帳される。

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『欅作りの等身大金華山号木像。目の前で見るとその迫力に圧倒される。一年に2日しか間近で見ることが出来ない貴重な文化財である』

馬専門の彫刻家後藤貞行

楠公騎馬像や西郷隆盛像を共同制作した高村光雲によると、後藤貞行は「馬の後藤」と呼ばれ、目を閉じていても触れればその良し悪しが判ったほど馬に精通していたそうです。後に馬専門の彫刻家と称されることになるわけですが、元々は大層な馬好きから出発し、日本画、洋画と学んでみたもののどうも違う。馬そのものを作りたいという願望を実現するためには立体的な木彫りを学ばねばだめだと思い立ったのです。ところが、どこの木彫り職人に入門しようとしても年が往っているために今からではものにならないと断られてしまう。そこで、顔馴染みの光雲に願いに来たので、余人は知りませんが、あなたの頭の中にはすでに馬がいるわけですから木さえ彫れれば馬は自然に彫れるでしょうと、手ほどきを教えたということです。

やがて、後藤が彫った馬は評判となり、大正天皇が東宮様の頃の御乗馬用木馬も作られたそうです。明治十七年には御料馬金華山号の銅像を制作していることからも、氏が御祭神として木像を制作するのは当然の成行きであったといえるでしょう。

後藤貞行が一生の仕事と願っていたのは、等身大の馬の木像を招魂社(現靖国神社)に納めることだったそうです。主馬神社の等身大金華山号の木像制作はある意味、晩年に氏の願いが叶った仕事であったわけです。

特徴ある貞行の馬像

以前、東京国立博物館に常設展示されている後藤貞行の馬の彫刻を見学したことがありますが、氏が制作される馬は私達が普段見慣れている競走馬とは一見して違うものであります。スマートではありませんが、筋肉質で疲れ知らずの丈夫な体格と猛々しく風になびく立派な尻尾、そして優しげでありながら誇りを失わない鋭い眼光が印象に残っています。

私の目の前に現われた金華山号の木像もその特徴を見事に継承していて、今にも神社の祭壇から外へ走り出して行きそうな雰囲気を持っていました。なお、過去にテレビ番組でこの木像が紹介された時、制作作業は氏の晩年であったため、子息である後藤光岳(二代目貞行を襲名)の手になる部分が多くを占めていると説明にありました。

参考文献

幕末維新懐古談 高村光雲

*文章中の一部は神社案内を参考にしています。

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