龍馬の志を継ぐ 北海道へ渡った坂本家に伝わる直筆の手紙が公開

幕末の志士坂本龍馬直筆の手紙が北海道浦臼町郷土史料館で公開される。手紙は明治に北海道へ移住した子孫から親しくしていた人物へ伝えられ、今年3月に浦臼町に寄贈されたものである。なお劣化を防ぐため、真筆の公開は今回のみの予定。公開は7月31日まで。

龍馬直筆の手紙は安政五年(1858年)に郷里の姉乙女に宛てたものだとされている。されていると推定するのは、これには宛名が記されてないからだ。半紙の表だけでは足りずに裏面まで使い書かれてる文章は、書式張っておらず書出しから土佐弁ではじまり、実にリラックスした調子で明らかに心を許せる人へ書かれた内容となっている。龍馬が残した手紙で、こんな調子で書かれてるものは乙女に書かれたもの以外には見当たらない。

先便差出し申候しよふ婦は皆々あり付申候よし」と、先の便で送った花菖蒲がみんな根付いたそうですねと書いています。これは、現在でも多くの人が訪れる東京都葛飾区堀切の菖蒲を土佐に送ったところ、全て根付いたと聞いたことへの返事のようです。この手紙が書かれた前年に歌川広重の名所江戸百景「堀切の花菖蒲」が制作されているので、江戸市民の間でも有名な観光名所であったことがうかがえます。好奇心旺盛な龍馬も早々に堀切へ足を延ばしたのではないでしょうか。(1)

記事にあるよう、今年3月に手紙を所有していた方が浦臼町に寄贈されたということですが、土佐高知に出された手紙が北海道で保管されていたのは、龍馬の血縁者たち、すなわちその後の坂本家と深く関わりがあるのはいうまでもありません。

龍馬の兄権平は明治二年、長姉千鶴の次男高松直寛を養子に向かえた。直寛は叔母独と従姉春猪と共に暮らし、同四年に坂本家を継いでいる。板垣退助の下で自由民権運動にまい進するが、二十年保安条例に抵抗したため投獄されることになる。(2)

この二年六ヶ月に及ぶ獄中生活を通して、直寛は伝導による北海道開拓にその後の生き方を模索したようだ。過去に親戚である沢辺数馬の説教を聴き、キリスト教の理想社会実現に傾倒し、米国宣教師ナックス・ブラウンより洗礼を受けていたのも理由であろう。(3)

明治三十年(1897年)、家族と高知県移民団と共に北見国訓子府原野(現北海道北見市北光)に入植した。翌年、同じ高知基督教会の武市安哉が急死したため、安哉が経営していた農園を引き継ぐために浦臼に移っている。開拓は決して容易に進まなかったが、直寛は伝導士として道内にキリスト教を伝え続け、明治四十四年に五十九年の生涯を閉じた。

龍馬にとって、北海道開拓の夢は本気であったようだ。慶応三年に印藤圭宛の手紙の中で、「小弟ハヱゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出ニ候間、何卒一人でなりともやり付申べくと存居申候」と書いていること、一緒に行くつもりで蝦夷言葉を稽古していたと回想している妻お龍にも夢を語っていたことから明らかであろう。残念ながら自身の志は半ばで途絶えてしまったが、明治の世になり奇しくも坂本家を継いだ甥によって実現することになったわけだ。そして、現在も龍馬の後裔は北海道で続いている。

(1)龍馬の二回目となる江戸への剣術留学は安政三年八月から五年九月までである。現在、高知桂浜龍馬会が所蔵している龍馬の「北辰一刀流長刀兵法 一巻」は五年正月に千葉定吉から授けられたものだ。龍馬が前後合わせて五年近い江戸修行を通じて、長刀(なぎなた)の免許しか得られなかったことに疑問符を付ける研究家も少なくない。

大正二年、直寛の長女直意の婿養子となった弥太郎が受け継いだ龍馬の遺品、その一部が火災で焼失している。一方で血縁者の話によると、高松太郎の長男直衛が明治に遺品を方々で売り払ってしまったという逸話もあるのだ。どこかの民家蔵奥に、今も龍馬の北辰一刀流免許皆伝書が眠っている可能性もゼロというわけではないようだ。

(2)直寛は明治二十年に南海男から改名した名前だが、記事内では統一した。叔母独は改名した乙女。春猪は三好清次郎を婿に迎え二人の子供を得たが、清次郎は脱藩して長崎の海援隊に入隊、明治三年まで土佐へ戻らなかった。

直寛は明治十四年に「日本憲法見込案」を執筆している。『昭和戦後の平和憲法を去る七十年昔、既に進歩的民主的な憲法が起草されたことは、叔父龍馬の人民共和議会思想を、また藩閥による権力政治を排する「日本の洗濯」の理想実現を希ったものである。』(龍馬百話334p)

(3)沢辺数馬(当時は山本琢馬)は安政三年に江戸で拾った時計を酒代に換えてしまったことが発覚し、窮地に陥ったところを龍馬が逃してくれた人物である。後に北海道へ渡り、当地のロシア正教会ニコライ神父に帰依した。明治十七年に東京神田のニコライ聖堂を建設している。

この記事はYOMIURI ONLINE 7月4日版を元に書かれたものである。

追記

高知県立坂本龍馬記念館は坂本家史料から確認した新史料として、龍馬が江戸修行で受領した北辰一刀流皆伝書に関する文書も公表した。1910年(明治四十三年)当時は兵法(剣術)の目録と皆伝書が存在したが、3年後の火災で焼失したと記されている。(高知新聞2015年10月9日)

参考文献

『龍馬の手紙』『龍馬百話』 宮地佐一郎

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