白蓮事件 連続TV小説は朝の大河ドラマ もう一人の主人公燁子の嫁ぎ先旧伊藤伝右衛門邸の入館者が急増

現在放送中のNHK連続テレビ小説「花子とアン」の主人公村岡花子の友人で、もう一つのストーリーラインの主役である燁子が嫁いだ福岡県飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸がドラマ同様に人気を集めている。この邸宅は燁子が生活していた当時のままに現存しており、飯塚市の有形文化財に登録されている。

ご存じのように物語の中で仲間由紀恵さんが演じる葉山蓮子のモデルは、明治大正の実在した歌人である柳原白蓮こと柳原燁子である。同様に夫である炭鉱王伊藤伝右衛門も嘉納伝助として脚色されている。燁子は伯爵柳原前光とその妾奥津りょうの間で明治十八年に生まれた。東洋英和女学校(ドラマでは修和女学校)に入学した経緯は、最初の夫である北小路資武と離婚した後、預け先である兄嫁の家庭教師が同卒業生だったからである。既に二十歳を過ぎていた燁子であったが、年下の同級生たちとの学園生活を謳歌したという。(1)

白蓮事件は明治四十四年に伊藤伝右衛門と再婚した燁子が、年下の帝大生宮崎龍介と大正十年に駆落ちし、大阪朝日新聞に夫への絶縁状を送ったことで新聞各紙がスクープ合戦を行い世間を騒がせた事件である。

当時は姦通罪が成立した時代でしたし、華族出身の有名な歌人が炭鉱王である夫への縁切り状を公開してしまったわけですから、世間が騒がないはずありません。伝右衛門にしてみれば、生々しい結婚生活や家族の内情までマスコミに晒されたことで大変な苦痛を味わったわけですが、事件から10日後には一切の弁解もせずに離婚に応じています。こうした経緯からも、不遇な結婚生活の燁子への同情以上に、女性としてあるまじき行動だとした批判の方が集中していたようです。伝右衛門は、離婚成立後のそうした状況から燁子を許しておけないとする周囲に対して、手出しはさせなかったということです。

それにしても後に起こる事件への布石と蓮子の孤独な境遇を強調するためか、ドラマでの伝助の描き方はかなり目を引くものがあります。もちろん、吉田鋼太郎さんのいつものキャラクターがそれに輪をかけていることは言うまでもありません。実際の伝右衛門は、燁子に対してはもう少し寛容で紳士的だったと思われます。燁子が自邸で歌会を開いた時など、自ら進んで給仕に徹したなどというエピソードもあるぐらいですから。それでも、生まれ育った環境が天と地ほどの差もある二人でしたから、燁子にしてみれば到底受け入れられないものがあったのでしょう。

放送当初はそれこそ平成の「おしん」かと思われた展開でしたが、蓮子の登場以降目が離せなくなった「花子とアン」です。現在は二人のストーリーが別機軸で展開していますが、それらが交差する時が今から楽しみです。なお、旧伊藤伝右衛門邸は、過去にも燁子がモデルとされる菊池寛の小説「真珠夫人」がドラマ化された時も注目されたそうです。まあ、あらためて言うまでもありませんが、テレビの影響ってすごいですね。

(1)燁子の実母りょうの父は、徳川幕府で外国方奉行を務めた幕臣の新見正興で、万延元年に渡米した遣米使節団の一員でもあった。明治二年に正興が病死した後、維新の混乱の中で新見家は没落したという。

(2)宮崎龍介の叔父は西南戦争で熊本協同隊を率いて戦った宮崎八郎である。孫文を支援した父である宮崎滔天は、家族には放任主義だったが、事件後燁子を暖かく向かい入れている。

この記事は毎日新聞5月31日版を元に書かれたものである。

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