安井道頓市右衛門 道頓堀開削400年を記念しイベントを開催

大阪ミナミの道頓堀開削400年を記念し、8月1日、道頓堀川の戎橋から太左衛門橋でイベントが開かれる。この催しは「水都大阪2015」のオープニングとして、川に浮かぶ船上を舞台に様々なパフォーマンスが披露される予定だ。

慶長二十年(1615年)、大阪夏の陣の論功行賞により、家康の孫松平下総守忠明が摂津大阪の領主となり、戦災で荒れ果てた街の復興を担うこととなった。忠明公は半ばで中断していた東横堀川と木津川を結ぶ堀の工事を再開させ、これを完成させた。公は、当初南堀川と呼ばれていた名称を、工事を着手した安井市右衛門の号を取って道頓掘と改めさせた。

市右衛門道頓は大阪の陣に豊臣方として敵対していた人物ではあったが、戦災直後の徳川への民心を安定させるために、敢えてこの名を使用したようだ。

安井道頓は、天正十年(1528年)頃、大阪城壕を掘削した功労に対し、城南の地(現在の道頓堀周辺)一帯を秀吉から拝領したという。

慶長十七年(1612年)、市右衛門は豊臣氏の許可を得て、拝領地中央に運河の建設を計画。従弟安井治兵衛定清と弟道卜定吉、親族の平野藤次らと協議しこれを私費を以て開削に着手した。しかし、工事を開始した同十八年に治兵衛定清が病死、元和元年(1615年)の大阪夏の陣にて、市右衛門は城中にて討死にし工事は中断した。

同年九月十九日、松平忠明は家老奉行四名の連署状をもって、上記工事用地を没収することなく、定吉道卜と平野藤次に南堀川開削の完成と城南一帯の開発及び完成後の堀に関する全ての支配を命じた。

以上が、昭和四十年に安井道卜の子孫が道頓堀川河川敷地の所有権をめぐって国、大阪府と大阪市を相手に訴訟を起こした「道頓堀裁判」において提出された『安井家由緒』より明らかになった。

安井道頓を主人公にした小説「けろりの道頓」は、司馬遼太郎が昭和37年に発表した短編である。道頓の出自や開削の動機などは不明としながらも、道頓を居眠りばかりしていて、掴みどころのない主人公に設定し、「掘りたいから、掘る、(中略)こういう童子のような欲望と思考力をもった男でなければ、人の世ののちに残るような大事業はできないのかもしれない」、血なまぐさい戦国時代に生きた実在の人物でありながら、どこか夢物語のような作品に仕立てているのは、同じ大阪生まれの司馬さんの道頓への敬意の表れであろう。

大阪市中央区日本橋北詰に建つ「贈従五位安井道頓安井道卜紀功碑」、この場所はかつての安井家屋敷の跡地である。大正三年十一月に道頓と道卜が従五位を追贈されたの機に建立されたものだ。当時、地域社会の歴史を考証・保存する風潮が全国的に広まっており、この石碑もその一環であったという。だが、残念なことに、最近では碑文を見上げて読もうとする人は少ないらしい。道頓堀400年開削記念イベントは、人の世に残る大事業を成し遂げた男達の歴史に思いを馳せるよい機会ではないだろうか。

*主な参考文献

『道頓堀裁判』牧英正、『けろりの道頓』司馬遼太郎

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*この記事は大阪日日新聞2015年7月29日号を下に書かれたものである。

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