川瀬巴水と仙台山の寺

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東北地方の冬は駆け足でやって来る。仙台の街並みをあざやかな紅葉が彩る頃、西に連なる奥羽連山では雪化粧の便りが幾度も聞こえてくる。夕陽に染まった天と大小の灯火が明滅する仙台平野の境界線である山々のシルエットが、美しく際立つのもこの季節特有のものだ。

仙台市泉区七北田山の寺洞雲寺。慢性的に渋滞が発生している4号バイパスから一歩道を外れると、周辺は振興住宅地として開発されてはいるが、その寺域は南北朝期に開山された当時と同じような静謐さを錯覚してしまう。

過去にこの地を一人の芸術家が数度訪れたことがある。その人こそ大正・昭和に活躍した版画家川瀬巴水である。

川瀬巴水こと川瀬文治郎は、明治十六年(1883年)東京芝の生まれ。十代の頃から画家を志したが、実家の家業を継ぐ必要から諦めざるを得なかった。しかし、25歳の時、商いに不向きであったため、実妹に家業を任せ、一度は年齢のために許されなかった鏑木清方の門下生にあらためて入門することとなった。「巴水」の号もこの時に清方に命名してもらっている。

巴水が版画制作に挑むようになったのは、大正七年(1918年)伊藤深水の木版画「近江八景」に感動し、自らも制作に意欲を覚えたからだ。その版元渡邊庄三郎は、試しに巴水の下野塩原を題材にした三図を出版してみたところ、これが以外にも好評を得たため以後巴水に風景画、深水には美人画を任せるようになった。(1)(2)

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大正八年の「仙台山の寺」は翌年の郷土会第五回展に出品され、版画家川瀬巴水の名を決定づけた「旅みやげ」第一集16図にも収録されたものだ。おそらく、このスケッチ自体は26歳の時に奥羽を長期間旅行した際に描いたものであろう。夏の夜の冷涼と深閑さが青の濃淡で表現され、静まり返った月明りの下で虫たちの鳴き声だけが聞こえてくるようだ。

この大正八年の「仙台山の寺」図は好評であったが、同十二年の関東大震災により版木と版画が焼失してしまった。同様に巴水の全てのスケッチ類も失われてしまった。

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巴水50歳の昭和八年に制作された「仙台山之寺」図は、前年の九月から3ヶ月間東北・北海道を旅行した際に描いたものであろう。同十一年の「日本風景集 東日本篇」に収録された。紅葉の頃の冷たい雨の景色で、二天門を中心に仏殿と開山堂につながる昇階段が描かれている。社殿が映る濡れた地面が一層冷え込んだ空気を感じさせる。同じ主題でありながら、構図や季節を違えることで、また趣の異なる風景画に仕上がっている。

現代の私達の感覚からすると、仙台観光といえば仙台城址を訪れた後は塩竈や松島、あるいは秋保や作並の温泉に移動すると考えがちだ。自動車が普及した現在とは違い、七北田村にあった洞雲寺はいささか中途半端な場所に位置している印象を受ける。

だが、当時仙台鉄道というミニSLが仙台から中新田(現宮城県加美町中新田)まで走っていた。最寄りには山ノ寺停留所があったため、参拝だけでなく観光や遠足で訪れる人が多かったという。(3)

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『古写真に写る洞雲寺 左に二天門、その後ろに開山堂の屋根が写っている 右に仏殿』

二天門の扉彫刻は左甚五郎作と伝えられていて、下層部天井の墨絵の龍が「鳴き龍」であったそうだ。交通の便も良かっただけに普段から多くの人で賑わう社寺であったのは間違いない。東北有数の古刹であり巴水が仙台を訪れた際、スケッチのテーマにこの場所を選んだとしても決しておかしくはなかったわけだ。惜しいことに二天門は国宝指定直前の昭和十八年に、機関車の煙突から出た火の粉が山の寺一帯に燃え移り洞雲寺と共に焼失してしまった。

山の寺の地形は山間の谷地にあるため、寺域周辺が住宅街に変貌してしまったにも関わらず景色は昔から差ほど変わっていない印象を受けた。只一つ違う点があるとすれば、それはかつての賑わいが失われてしまったことであろうか。私が訪れたのが、平日の夕方だったせいもあるかもしれないが、人の姿はほとんど無かった。また、焼失前まで仏殿があった場所には本堂が建設されたが、工事中で近づくことは出来なかった。聞いたところによると、平成二十三年の東日本大震災で被害を受け、本堂は建て替え中であるらしい。

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『現在の洞雲寺 かつての開山堂と昇階段を彷彿させる位牌堂 二天門と仏殿があった場所の本殿は幕に覆われ再建中』

巴水がその後東北を訪れたかどうかは判らないが、洞雲寺焼失のニュースは耳にしていたであろう。随分残念に思ったに違いない。私自身も巴水の版画を現在の場所から確認したかっただけに、いつの日か再び多くの人で賑わう寺域になれるよう願いつつ、それはまたの機会とすることにした。

(1)滋賀県立近代美術館 伊藤深水「近江八景」

(2)現栃木県那須塩原市に巴水を可愛がってくれた伯父夫婦が暮らしていたため、子供の頃から行く機会が多かったと本人も話している。スケッチ旅行の際には長期に渡り滞在し、塩原を題材とした作品の数も多い。

(3)仙台鉄道はJRなど通常の鉄道よりレール幅の狭い規格の軽便鉄道である。鉱山や森林の労働者と資源の運搬に用いられる鉄道と考えるとイメージしやすい。建設費と維持費が安かったために大正11年に開業。通勤、通学の足として仙台では「軽便っこ」の愛称で親しまれていた。当初は市内中心部の通町に始発駅があった。中新田までの全長45kmは軽便鉄道としては相当長いものであった。バスが普及した昭和35年に廃業。後に運営会社は合併を経て、現在の宮城交通バスへと姿を変えている。

参考文献

「川瀬巴水作品集」清水久男

参考にさせていただいたサイト

泉なつかし写真館―第2回 山の寺洞雲寺

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