芭蕉の竹杖 奥の細道の旅中に譲った杖が敦賀市に寄贈される

江戸時代の俳人松尾芭蕉が元禄年間に東北北陸を旅した中で、宿泊した宿に譲ったとされる竹杖がこの程所縁のある敦賀市に寄贈されることになった。

敦賀宿泊の記述

「おくのほそ道」は元禄二年(1689年)三月に江戸深川から門人曽良を伴い、奥州から北陸を巡り美濃大垣までを旅した紀行文である。全行程は600里、延べ日数は150日を掛けている。

記事にある敦賀での宿泊については、本稿に「(八月)十四日の、夕暮、つるがの津に、宿をもとむ」とあり、「其夜、月、殊晴たり。あすの夜も、かくあるべきにやと、いへば、越路のならひ、猶明夜の陰晴はかり難しと」、宿の主に云われたとある。

この主が出雲屋弥市郎であり、芭蕉から竹杖と笠を譲られた人物である。だが何故か、その件に関しての記述は本文中には見当たらない。(1)

「奥の細道」はフィクション?

「おくのほそ道」を読んだ人なら、その書が多くの部分で虚構を綴っているのは承知のことと思う。まるっきりのフィクションというわけではないが、作中、芭蕉と曽良が旅の中で出会う実在の人物らしき人の名を当て字にしていたり、期日を曖昧にしたり、また人跡未踏の道を迷ってしまったとか、隣部屋の遊女から同行を頼まれたりなど創作的な記述を各所にみる事が出来る。

これは、芭蕉が最初から単なる旅日記を書くつもりがなかったことによるものだ。死後門人によって編纂された「笈の小文」の中で、芭蕉は紀行論として、文学作品の紀行とは事実の羅列ではなく、「黄奇蘇秦のたぐひにあらずば云ふ事なかれ」であると。文学は事実ではない故、酔っ払いの戯言か寝ている人の寝言のたぐい、私の本はその心づもりで亡聴せよと。(2)

多くの芭蕉研究者も言及しているが、「おくのほそ道」は当初から芭蕉自身を主人公とした私小説として書かれたものだろうということだ。その結果、マンネリを避けるため、旅の途中で起きた些細な事実に関しては大胆に省略されてしまったのである。

山中温泉で八泊

さて、話を芭蕉の竹杖に戻す前に、敦賀到着に先立つ七月二十七日から八泊した山中温泉でのこと。それまで同行してきた曽良が、旅の疲れと夏の暑さで体調を崩してしまい、当地でも中々回復しないため、芭蕉と別れ所縁のある伊勢長島藩へ先に行くことになった。ここから金沢で門人となり、同行してきた立花北枝に福井まで案内を受け、そこから敦賀までは江戸での旧知等栽(洞哉)を訪ね、同行をしてもらっている。

芭蕉は敦賀の旅宿出雲屋で草鞋を脱ぐと、主人から曽良の手紙と壱両を手渡された。

山中温泉で別れる前に二人は今後の予定をある程度打合せていたようだ。敦賀で出雲屋に宿泊したのも予定の行動であったろう。また、芭蕉は先発する曽良に弐両弐分の旅費を渡したが、敦賀から伊勢長島までの旅費としては必要以上だったので壱両を芭蕉に返すよう出雲屋に預けたのである。(3)

弟子曽良はまめな性格

「旅日記」からも推測できるが、曽良という人物は非常にまめな性格だったようだ。この奥州北陸への旅に、芭蕉と同行する門弟の候補として曽良と路通が考えられていたが、曽良は事前に「名勝備忘録」などを作成し、同行者として選ばれる前から旅に備える程であった。また、具合が悪く山中温泉から別行動を取ったが、師のために先々の宿泊先を選定したり、敦賀から色の浜へは天満屋の船を使うことや、大垣から路通を敦賀に迎えに行かせるなど細かく気の付く弟子であったといえる。

竹杖が旅に不要になった

上記したように、出雲屋へ竹杖と笠を進呈した件は、本文に書かれることはなかった。それは単にエピソードが面白くなかったというだけのことではないと思う。それまでも旅先で同様のことがあったからではないかとも想像できる。曽良の日記などでも確認できるが、先々で多くの歓待を受けた芭蕉はその際旅に必要なもの(浴衣や紙など)を贈られている。とすれば、逆に旅に不要となったものも出てきたのではないだろうか。それらは芭蕉に長く逗留していてほしいと願う土地の者達がたいそう欲しがったに違いない。実際、芭蕉は大垣で按摩をしてくれた竹戸という鍛冶工に、携帯していた紙の夜具に俳文を添えて与えたところ、路通、越人、曽良が大変羨ましがったというエピソードがあるぐらいだ。

また、別の見方をすると、曽良と打ち合わせた行動だったろうが、芭蕉は敦賀から色浜までは船、最終地点大垣までは駅馬を用いている。また季節はすでに暑さの峠を超えていたから、杖と笠は旅に必要のない道具となっていた可能性もある。それゆえ、曽良の手紙とお金を預かり、敦賀の天気を予想するのは難しいから晴れている今夜に気比神社への夜参を勧めてくれた出雲屋弥一郎へのお礼として杖と笠を進呈した(あるいは置いていった)と想像するのに難くない。

もっとも、いくら必要がなくなったのではないかといっても、あの松尾芭蕉が「おくのほそ道」の中で使用した竹杖である。これこそレジェンドでありアーティファクトである。本当に貴重な文化財であるに違いない。現在、私達がそれを直に目にすることが出来るのも、大切に保存してきてくれた方々の尽力以外に他ならない。全く感謝のしようがない、心から頭が下がる思いである。

注釈

(1)竹杖は今に残ったが笠は失われてしまった。旅宿出雲屋も早くに途絶えたが、その隣家で縁戚であった富士屋が受け継ぎ、芭翁宿として親しまれたという。

(2)高名な北宋の書家黄庭堅や蘇東坡の類でなければ、日常些細なことなど書くべきでない。

(3)曽良旅日記、八月十日

参考文献

「奥の細道を歩く」井本農一 他、「松尾芭蕉」阿部喜三男

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*この記事は福井新聞2017年11月22日号をもとに書かれたものである

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